個人の感想です。
『オズランド』と『WoodJob!』をプライムで観て、大衆映画というか「万人受けする様式美」っていうのが、映画にも少なからず存在することを知った。
確か、ケモフレの1期(たつき監督)と2期(木村監督)がそれぞれ作った物語の構成を冷静に分析比較した記事をどこかで読んで、つまり1期では存在しなかった「昭和~平成前半のアニメによくあった様式美」が2期でこれでもかと出てきて、様式美のない新しいアニメを1期で体験した一部のファンが2期に拒絶反応を示したって話だったんだけど。
あれは30分×10数話で、ちと長めの物語が書けるけど、映画ってなったらもう少しコンパクトにしなきゃいけない。だけど今回 観たふたつの映画には、起承転結の作り方や作中に出てくるギミック的なものが結構 似通っていて、つまりこれが「様式美」ってやつなのかなあって思ったわけで。
オズランド は遊園地の従業員に焦点を当てた話だし、WoodJob は林業の話で、どっちも主人公は都会から舞台となる「田舎」へ引っ越し、あるいは住み込みで働くことになる。
どちらも不本意や思い違いで働くことになって、なんにも知らない主人公は最初「期待していたものと全然違う!」と嫌な顔をする。
だけど新しい仲間と衝突したり現場の先輩に支えられたりして、現場の苦労と仕事を終えたときの達成感とで、次第に自分の仕事に誇りを持つようになっていく。
で、その主人公の心の変化を試すかのように、主人公の都会時代の仲間(あるいは恋人)が中盤あたりで当て馬として舞い戻り、主人公の誇りとも呼べる職業や土地を、これまたなんにも知らずに貶してくる。
当然、主人公はかつての仲間、つまりかつての自分を捨てて今あるものを選ぶし、むしろ当て馬ちゃん相手に胸を張って「仕事が好き」「この土地が好き」と答えるわけだ。
オズランドは遊園地の企画担当(という名の雑用係)に配属される話だけど、接客業をしている身としてはなかなか共感するものがあった。
園内で新人が研修の一環でゴミ拾いを任されるのは、園内の設備やアトラクションの位置を熟知し、各配置のスタッフと早く打ち解けられるから。
停電のシーンも迷子案件で園内を歩くシーンも、清掃作業で詰めた基礎知識ありきのことだろう。
雑用でも真剣にやる人は成長も早い。共感しかないよ。
Wood Job! はかなり露骨に「序盤の仲間」が終盤できっつい「主人公の誇りを貶す当て馬」に豹変していて面食らった。他にも、村に来て早々主人公へ厳しく指導しまくる神去村一同に、共感性羞恥みたいなもので死にそうになった。
映画だとちょっと誇張して描いたほうが盛り上がる とはいえ、案外あれはファンタジーでもなんでもなく、令和の今でも地方には根強く残っている感覚な気がする。
ただまあ、この2つのサンプルだけで映画の様式美が見えるわけでもなかろう。
今回観た映画は、どちらも現場の人間(ブルーカラー)にスポットを当てたものだ。特にオズランドは序盤に主人公がぼやいた「ゴミ拾いするために大学を卒業したわけじゃない」みたいに、現場に一切出ない管理職(ホワイトカラー)には理解されないけど現場では重要視されるものごとって結構多い。
体感で語ることだけど、管理職でも学生時代にコンビニバイト経験してる人は現場の人に優しい印象あるよね。
小説でも映画でも、連載形式のアニメや漫画でも、なんかしら ウケるためのルールや伝えやすくするための構成 はあるなあと。
お話を作る基本みたいなのを分析するのに役立ててみます。