【切り抜き 季節と世相 】8月21日~9月17日
■8月21日 河北新報「河北歌壇・俳壇81年 選者座談会(上)」より
◇昔(むがす)むがす,埒(らづ)もねえごどあったづも、昔話(むがすこ)となるときよ早よ来よ
佐藤通雅(河北歌壇選者)
◇若葉萌ゆ泣ぎながらでも生ぎっぺし
(2011年7月3日付け、石巻市、工藤幸子)
◇津波に生き破傷風にて死す友を瓦礫の中の寺に見送る
(同年11月3日付け、石巻市、阿部和子)
◇震災後また朝が来て囀れる
(2011年5月1日付け、仙台市、佐々木智子)
■8月26日河北俳壇・歌壇より
◇受け入れを拒否され帰り来る瓦礫も人も東北を出てはならぬか
渋谷史恵、多賀城(8月26日河北俳壇・歌壇)
■9月3日の讀賣歌壇・俳壇から
◇生かされて一人生きたる晩夏光
桜井洋嘉、塩釜市
◇流灯の待ち合わせゐる淀みかな
中崎正紀、水戸市
◇一管に般若の狂ひ薪能
後藤啓之、福岡市
【選者、宇多喜代子評】能管の鋭い一本の鋼線のような響き。面の表情が物狂いに変わっていく様をとらえた句。
◇残る蝉ぱたたぱたたと地を這えり
橋本幹夫、岡山市
◇目の見えぬ老犬はよろよろと立ち上がり子どもの声に首を傾く
多田宏、神奈川県
◇家猫はつつがなく生き十九歳敷居のへりに時につまづく
藤田文子、浜松市
◇油蝉鳴くあわただしさを受け止める生あるものに生ある時間
井原茂明、市原市
◇祈りとは生きていること秋の蝉
瀬戸順治、茨木市
【選者、正木ゆう子評】人生を直截に詠むのに俳句は向いていないが、今回はなぜかそんな佳句が目立つ。「生きてゆくこと」ではなく「生きていること」。
■9月6日毎日新聞宮城県版「文園」から
◇ふるさとの 風無尽蔵 夏座敷
武田道直、仙台
◇公園に 子等の声無き 夏休み
錦戸成子、仙台
◇田蛙の 声を限りや 村眠る
武山より子、登米
◇庭の草コオロギ達に貸すと決め
加藤 功、仙台
■河北新報9月17日「東北の本棚」欄、及び「短歌・俳句・川柳」から
◇おそらくは知らるるなけむ 一兵の生きの有様(ありざま)をまつぶさにとげむ(宮柊二)
◇群鶏(むらどり)の数を離れて風中に一羽立つ鶏の眼(まなこ)ぞ澄める(宮柊二)
(佐藤通雅著『宮柊二 柊二初期及び『群鶏』論』の書評から)
◇再稼動 民の生活 質に取り 今野昭五
(川柳まどか/7月号席題「原発」から)
☆9月17日朝日新聞「天声人語」から
・・・オリックスの川柳マネーに<かじられたスネ四本が行く足湯>がある。GG(※)の皆さま、どうか必要を超えて蓄えず、国内の温泉あたりで費やし、日本経済を回してほしい。それが、いわゆる世代間格差を和らげることにもなる。祝日に無粋な説法、お許しあれ。
※GG:商いの世界では、「元気で財布の緩い高齢者をGG-グランドジェネレーション-などと呼ぶ」らしい。