「同潤会に学ぶ復興住宅」―ふと目に入った記事― | 原子力発電を考える石巻市民の会 日下郁郎

原子力発電を考える石巻市民の会 日下郁郎

「原子力発電を考える石巻市民の会」(近藤武文代表)は、東北電力の女川原子力発電所が立地している宮城県石巻市で、1979年より原発問題に取り組んでいる市民団体です。

【石巻と津波被災】9/18

まだ20代だったむかし、表参道の同潤会アパートの近くに住んでいたことがある。「同潤会」という言葉を目にしたり耳にしたりすると、心が引かれ何故かなつかしい気持ちになる。今日も『毎日新聞』のページを繰っていてふと同潤会という文字が目に入っきた。大月敏雄という方の書いた復興住宅についての記事の見出しだった。
記事に目を通すにつれ、ほのぼのとした気持ちになってきた。石巻市や女川町や東松島などに住んでいて津波で家をなくした多くの被災者や市町関係者などに、是非読んでほしい内容の記事だと感じた。
被災地の<まちづくり>がここにあるような考えに立って多くのところで進められていったらいいのだが・・・。
この記事の主要部分を下に書き出しておこう。

「同潤会に学ぶ復興住宅」大月敏雄(東京大学准教授、建築計画学)

東日本大震災からの復興をめざす岩手県釜石市と遠野市で、私たち東大高齢社会総合研究機構はコミュニケーション型仮設住宅を提案した。高齢化の進む被災地で居住者同士が自然と「見守り」ができるように、住宅を向かい合わせにした。また、屋根を張り、デイケア機能付きの集会所であるサポートセンターとバリアフリーでつなぎ、その一帯を「ケアゾーン」と位置づけた。これは全住戸の3分の1程度として、残りはプライバシーを重視する一般のゾーンにした。釜石では仮設住宅の中心に仮設店舗やバス停も配置した。
その発想の源は、実は90年前の「同潤会アパート」にあった。同潤会とは、1923年の関東大震災後の住宅復興機関として設立された国の外郭団体で、日本の集合住宅普及に大きな役割を果たした。その特徴は大きく次の3点に集約される。
(1)「町並みを形成する住宅」住棟のデザインがそのまま街路の景観を形づくるように設計された。表参道にあった青山アパートなどが典型で、町並みに溶け込んだたたずまいは多くの人々に愛された。
(2)「町として機能する住宅」ほとんどの同潤会アパートには集会所があり、そのほか店舗併用住宅、食堂、銭湯、理髪店、医務室などが、周辺の環境に応じて実にきめ細かく配置されていた。それ自体が町として機能し、かつ周辺の町の機能を補完する面もあった。
(3)「町と同じ多様な世帯を入れる住宅」多くの同潤会アパートでは、独身者向けの住宅を提供した。これはおそらく、普通の町が、老若男女の多様の家族形態から成り立っていることを、素直にトレースしたのだろう。同潤会アパートは以上のように町と溶け合い、町そのものだった。
ところが、第二次大戦以降の公共集合住宅は、基本的に住宅を町から分離して計画することを基本としてきた。周囲の家並みとは関係なく南に面して平行に並ぶ単調な景観、住宅しかない単一機能、特定の世代構成の世帯しか受け入れられないワンパターンの間取り。まさに戦後は、必要数をつくるだけの住まいづくりを行ってきたのだ。
これに対して、周囲と隔絶しない町並みの形成、町として機能しうる複合的機能設定、多様な家族を受け入れる多様な間取り――こうした要件は、これからの超高齢化社会を乗り切るためにも重要だ。見た目にも誇らしい町で、小規模でも様々なサービスが受けられ、子供からお年寄りまで互いに何となく見守りあえる環境こそが求められるのではないだろうか。