ブログ2645回目、チーム8大分ツアー昼の部観戦(その1) | シミーノのブログ

シミーノのブログ

主に趣味・プライベートの出来事を掲載した内容です。
・ファッション
・グルメ
・観光旅行
・プラモデル作製
・スポーツ観戦
・ライブ観戦

こんばんは、シミーノです。

引き続き、2月18日(日)に大分県大分市のiichiko総合文化センター グランシアタで開催された、AKB48チーム8の全国ツアーを見に行った話です。

「てかさ…、大分へ夜間高速バスで移動するなら、ギリギリまで自宅で大人しくするか、2月16日(金)の夜から前のりして、2月17日(土)を大分観光に費やせば良かったのに」

それはギリギリまで考えたけど…、名古屋市科学館の講演会を見たかったから、前のりは諦めました。

「確か、福岡県北九州市の小倉で夜間高速バスからJRのスーパーソニックに乗り換えるんだよな」

はい。まだ真っ暗な早朝に小倉に着き…。

スーパーソニックに乗り…。

大分駅に着きました。


「ほう、鶏の唐揚げやとり天が人気なだけあって、鶏の像が飾ってんだな(笑)」

ちなみに、駅の北口には大友宗麟の像と…。

フランシスコ・ザビエルの像がありました。

「大友宗麟といえば、大分を本拠にした戦国大名にして、フランシスコ・ザビエルの布教を認めたキリシタン大名なんだよな。一時期は九州北部を席巻した大勢力だったのに、最終的には鹿児島の島津や佐賀の龍造寺に攻め込まれたんだよな。なんで、こんなに弱体化したんだろ?」

皮肉なもので、キリシタン大名化したからかな?
それまでは勢力下は仏教徒だったんだけど、キリシタン大名化に際し、仏教徒へキリシタンに改宗しろと迫って、人心が不安定になったからね。

「キリスト教が良い悪いでなく、人心掌握という為政者としての義務を遂行できなかったら、大名としての基盤も揺らぐわな。
それで、大分駅から真っ先にツアー会場へ向かったの?。それとも観光してから?」

まずは、駅から北の府内城跡を見に行き、次に城跡南の道沿いを西に歩き、ツアー会場へ向かいます。

途中、赤レンガ館を通り過ぎ…。


府内城跡が見えてきました。



「あちこち改修中なんだな。ところで、府内城の歴史って…」

この城は平城で、九州が戦国時代の時にこの地を領有していた大友氏は、島津氏に攻められた時にこの地での防御を諦めたくらい防御に課題があったからか、あまり拠点として活用されなかったみたいですね。

後にこの地へは、色々な大名が数万石という微妙な石高で赴任させられたんですが、関ヶ原合戦で敗北した石田三成側についた理由で改易されたりと、城主がひんぱんに交代してるんですよね。
さらに、江戸時代の大火で天守閣が焼失したり、第二次世界大戦の空襲で櫓数棟が焼失したり…。

「うーん…、歴史的にインパクトのある事象はなさそうか。お城として、何か特徴はあるのかな?」

残念ながら、焼失した天守閣についての詳しい資料がなさそうなので、諸説はあるけど特徴を語るのは難しいね。
ただ、昭和40年から櫓や大手門等を復元しているので、それが完了したら、天守閣復元に向けての検討が進むかもしれないですね。

では、城跡をあちこち散策します。

「おや、天守閣を復元してんのか?」
いや、期間限定で金属パイプで天守閣を模して、LEDによるライトアップを行った企画のようですね。

その横の高台が展望場になってたので…。

登ってみます。

展望場から四方を眺めます。まずは南側…。

次に東側…。

次に北側…。

最後に西側。
「あれ?。なんか和歌山城で見たのと似たような建造物が」

廊下橋ですね。平成8年に復元されたものです。

廊下橋の北側に松栄神社があったので立ち寄りました。



「こちらが拝殿と本殿か。どんな神社なんだろ」

この神社は、江戸時代に徳川家の分家の松平氏が転封されたさい、群馬にあった徳川家の祭神・近正八幡宮を祭祀した神社です。

「なるほど、一族の、それも徳川将軍家の祭神を祭祀することで、転封地での権威を確立させたんだな」

そうだろうね。ただ、領地としては数万石と少ない大名だったから、治世に苦労されたみたいだね。

「だったら、江戸時代に焼失した天守閣の復元なんて無理だったろうな」

本殿東横には稲荷神社と神木が。

ここらで、コンサート会場のiichiko総合文化センターへ移動することに…。





「チーム8ツアーお馴染みのコンセプトカーか。今回は入口付近に設置されてんだな」

(次回に続きます)