引き続き、2月18日(日)に大分県大分市のiichiko総合文化センター グランシアタで開催された、AKB48チーム8の全国ツアーを見に行った話です。
「てかさ…、大分へ夜間高速バスで移動するなら、ギリギリまで自宅で大人しくするか、2月16日(金)の夜から前のりして、2月17日(土)を大分観光に費やせば良かったのに」
それはギリギリまで考えたけど…、名古屋市科学館の講演会を見たかったから、前のりは諦めました。
「確か、福岡県北九州市の小倉で夜間高速バスからJRのスーパーソニックに乗り換えるんだよな」
はい。まだ真っ暗な早朝に小倉に着き…。
大分駅に着きました。
「ほう、鶏の唐揚げやとり天が人気なだけあって、鶏の像が飾ってんだな(笑)」
ちなみに、駅の北口には大友宗麟の像と…。
フランシスコ・ザビエルの像がありました。
「大友宗麟といえば、大分を本拠にした戦国大名にして、フランシスコ・ザビエルの布教を認めたキリシタン大名なんだよな。一時期は九州北部を席巻した大勢力だったのに、最終的には鹿児島の島津や佐賀の龍造寺に攻め込まれたんだよな。なんで、こんなに弱体化したんだろ?」
皮肉なもので、キリシタン大名化したからかな?
それまでは勢力下は仏教徒だったんだけど、キリシタン大名化に際し、仏教徒へキリシタンに改宗しろと迫って、人心が不安定になったからね。
「キリスト教が良い悪いでなく、人心掌握という為政者としての義務を遂行できなかったら、大名としての基盤も揺らぐわな。
それで、大分駅から真っ先にツアー会場へ向かったの?。それとも観光してから?」
この城は平城で、九州が戦国時代の時にこの地を領有していた大友氏は、島津氏に攻められた時にこの地での防御を諦めたくらい防御に課題があったからか、あまり拠点として活用されなかったみたいですね。
後にこの地へは、色々な大名が数万石という微妙な石高で赴任させられたんですが、関ヶ原合戦で敗北した石田三成側についた理由で改易されたりと、城主がひんぱんに交代してるんですよね。
さらに、江戸時代の大火で天守閣が焼失したり、第二次世界大戦の空襲で櫓数棟が焼失したり…。
「うーん…、歴史的にインパクトのある事象はなさそうか。お城として、何か特徴はあるのかな?」
残念ながら、焼失した天守閣についての詳しい資料がなさそうなので、諸説はあるけど特徴を語るのは難しいね。
ただ、昭和40年から櫓や大手門等を復元しているので、それが完了したら、天守閣復元に向けての検討が進むかもしれないですね。
では、城跡をあちこち散策します。
廊下橋ですね。平成8年に復元されたものです。
廊下橋の北側に松栄神社があったので立ち寄りました。
(次回に続きます)