2年という歳月の中
自分の中のモヤモヤは
消えぬまま
またこの日が迎えにきた
何もできないってことは
そういうこと
思い出す
あの悪魔の夜から
無力の朝へ
あの時間
悔しくて
悲しくて
不安いっぱいの君を
僕は
助けることは
できなかった
その日から
僕は雨を恨むようになった。。。
『無力』
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2018.7.6
死者263名
行方不明者8名
負傷者484名
住家の全壊 6783棟 半壊 11346棟 一部破損 4362棟
床上浸水 6982棟 床下浸水 21637棟
公共建物の被害 720棟
戦後最悪の水害となった西日本豪雨
あれから2年
広島、岡山、愛媛では自宅を再建するなど
恒久的な住居を建設する人が増えている。
ただ、未だ仮設住宅で暮らす人もいるのも現実で
3県で1925世帯がまだ仮設に残っている(5月末時点)
今後、仮設住宅で継続希望者は広島100世帯
岡山693世帯 愛媛176世帯が当面仮設での
生活を続けることを希望している。
特定非常災害に指定されている為
3年間は100%補助されるが、
補助率は4~5年目には75%
6年目以降は50%となる。
復興の進み具合は地域や個人によって様々ですが
今後支援が途切れ生活困窮者自立支援など
問題はまだ山積みである。
おはようございます。
本日もブログにお付き合い
いただきありがとうございます。
あれからもう2年
あの街はどうなったのかなぁ。。。
今日はこんな始まりですみません。
2年前の今日
僕は大切な人を守れなかった
そんな思い出したくない日でした。
7月6日22:00避難勧告
→22:40 大雨特別警→23:45 避難指示
逃げ遅れたあの人の不安
そしてどうすることも出来なかった僕の気持ち
未だ心にはっきりと残る出来事です。
大阪から
行きたくても行けず
モヤモヤ、イライラした時間だけが
過ぎていきました。
どうすることも出来ず
ただ、ただ無事を祈るしか出来なかった。。
己の無力さを
これほど感じたことはなかった。
未だその思いは
消えません。。。
この先も消えないでしょう。
唯一の救いは
そのあと、その街へ
ボランティアで恩返しできたこと。
何も出来なかった事では
終わりたくなくて
自分なりに手伝う事で
少し罪滅ぼしできるかなと
思いました。
初めて参加したボランティアでした。
全国からたくさんの人が集まり
それぞれの場所へ振り分けられます。
私は偶然にも
その大切な人の近くへ配属されました。
胸が裂ける思いでした。
真夏の暑い中
僕は同僚を4人連れて
がむしゃらに働きました。
二階まで浸水した家の壁を剥がす作業です。
熱中症対策のため
1時間に一回15分休憩するようにと
言われてましたが、僕らは
お昼以外、休憩もせずに作業しました。
一応プロ集団ですから、3日くらいかかる量を
1日でやり切りました。
汗をかいて気持ちは少し
穏やかになりましたが
完全にモヤモヤが
消えたわけじゃではなかったです。
今はあの街の復興と
大切な人の幸せを心から願います。。
先日からの熊本豪雨がまた
僕に思い出させてくれる。
熊本は市内と人吉に親戚がいます。
今回水害にあった球麿川の氾濫では人吉市も被害に
遭っています。無事は確認してますが、予断は許しません
まだ長雨は続く模様なので、ほんと命の安全を確保願います。
早くこの事態が収まってくれる事を
心から祈っております。
もし叶うなら
どんな願いをひとつ選ぶと思う。。
あの夏の日
ほんとに何もできなかったから
今度は助けてあげたい
そう願います。
最後まで長文をお読みいただき
ありがとうございました。
※コメント欄は閉じさせていただきます。

