這い上がり、そして降りて行くこと | 思考の散歩道

思考の散歩道

毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

「この人いまキツイ状況だなぁ」と思う人に会うことがある。

自分の行動や責任とは無関係にとても厳しい現実と向き合わされている人。

被災地の人たちの様に周りの人すべてがキツイ状況であるのならば耐えることが出来る。

しかし自分だけその様な状況になると耐えることが出来ないのが人という生き物です。

「他人と自分を比較してはいけない」なんて道徳的な言葉は答えであって解決には何の役にも立たない。


「なぜ自分だけがこの様な目に遭わなければならないのだろう」。この思いが自分や世間や神を呪うようになる。


堕ちるだけ堕ちて、世の中や自分自身を呪ってドン底から這い上がってきた人。そんな人を「あの人は地球の中心まで行ってきた人」と言う人がいた。


自分の場合はある人から「あなたの今の状況はあなたの責任でも神様の責任でもない。そういう役割なんだと観念しなさい」と言われたことが這い上がるキッカケとなりました。


世の中に溢れる「感謝、許す、みんなの幸せを願う」そんな気持ちでは這い上がれない。

「怒り、劣等感」このダークサイドな感情に火をつけてロケットの様に這い上がる。

10年かかりました。問題は「ロケットは急に止まれない」だから高みに上って行く。


もしその力をビジネスに使ったら間違いなく成功する。自分は知識を得るために使った。


ふと気がつくと自分が作ろうとした環境が出来ていないことに気がつく。

ビジネスで成功した人も同じ様な気持ちになるようだ。

「裏切られる」「本当に信じられる仲間がいない」「人から嫌われる」などなど。


そのままそこにとどまる人もいる。

自分はそこから降りる道を選んだ。

ロケットで上がっても降りるときはハシゴ。

だからとても怖い。

「これを手放せば自分はまたあの地獄に堕ちる」「負けてはダメ、自分が自分でいられなくなる」そう言ったものを怖さに耐えながらひとつひとつ手放して行くのがハシゴを降りること。

ハシゴを降りはじめてまだ四年。まだまだ「智に働けば角が立つ」の連続。

人の深さとはドン底まで堕ちて這い上がった時にその這い上がった深さだけその人の身に付く。

人の高さとは登りきった場所から降りた分だけその人の身に付く。

ハシゴを降りきって地に足をつけた時が楽しみだ。そしてそんな馬鹿な自分を人にさらすことが私の役割と思って今日もハシゴにしがみついている。