あれは私が小学校4年生のとき、同じクラスで仲良しだった森田君の家に遊びに行った時のことだった。その時にお兄さんの部屋に貼ってあるポスターに私の目は釘付けになった。
なんてきれいな女性なんだろう。
ポスターを見ている私に森田君は「オードリー・ヘップバーン」と言う人だよと教えてくれた。
それが私とオードリーの初めての出会いだった。
昨夜ネットを見ているとオードリー・ヘップバーンの名言が目に留まった。
ということで名言を紹介しながら私なりの解釈を・・・・いらないって・・・・まあまあ。
やっぱり一番最初に目がとまったのがこの言葉。
わたしにとって最高の勝利は、
ありのままで生きられるようになったこと、
自分と他人の欠点を
受け入れられるようになったことです。
ありのままの自分とは何か、この一言で十分ですね。
ありのままに生きられるようになるには、自分と他人の欠点を受け入れられる自分になること。
じゃあ、どうすれば自分と他人の欠点を受け入れられるようになるのか。
やっぱり「我」をなくす努力をつづけるしかない。そのために自分以外の人が存在するといっても過言ではない。
たとえばAさんとは価値観が違うので本音では付き合えない。付き合うと自分を偽らなければならないし、表面だけで円滑な人間関係を築いても意味がないのでAさんを排除。人生の時間は限られているのだから自分の本音を偽って無理をするなんで効率が悪いことは無駄だ、と。これってとても機械的で効率的な考えだけれど、よくよく考えてみると「自分の我をとおせないから排除」てことになる。本音で付き合えないと言えばかっこいいが「わたしの我が通らない人は嫌だ、付き合わない」と言っているに等しい。
もちろんそんな生き方をしていたら嫌われることは間違いないのだが。そんな時に「嫌われるのは仕方がない」と開き直る人が多い。もう自我全開です。
オードリーのありのまま生きられるとはまったく反対方向に向かっていることになる。
「我」を無くすには、せっかく現れた本音で付き合えない人を味わい切るしかないのだ。味わい切ると「ああこんな価値観もあるんだな。世の中いろいろな人がいるものだ」と頭ではなく肚(はら)で分かる。好き嫌いは関係ない。
結局これの積み重ね、一人ひとり受け入れていくと自分も受け入れられるようになる。「嫌」がないので「ありのまま」「自由」な生き方が出来るというわけだ。
それでは他の名言も
どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと。
ありのままの一日。
ありのままの人々。
過去は、現在に感謝すべきだということをわたしに教えてくれたような気がします。
未来を心配してばかりいたら、現在を思うさま楽しむゆとりが奪われてしまうわ。
その日をとことん楽しむにはどんなことが起ころうがその出来事を楽しみ。どんな人が現れようがその出会いを楽しむ。まさに「今を生きる」ですね。
嫌なことが起きた・・・凹む。価値観の合わない、私の「我」をとおせない人と会ったから不愉快では一日を楽しむことは出来ません。
そしてこの言葉。
何より大事なのは、人生を楽しむこと。
幸せを感じること、それだけです。
いままでの名言を私なりに解釈してこの言葉にふれると、これが人生の「答え」と納得する。
人がこの世に生を受けたのは「我」を無くして人生を楽しむためなのだ。