なぜ私はあの人を遠ざけたのか | 思考の散歩道

思考の散歩道

毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

最近ブログの更新をあまりしなくなりました。理由は・・・・・


この言葉。


大いなる理は「私は」を言わず、「私は」を実行し続ける。


ツァラトゥストラはかく語りき・・・ニーチェより


よくよく考えるとこのブログは「私は」を言い続けてきたようなものですね。自分の考えをまとめると言う役割もありますから止めると言う選択はとりませんが、書きたいときに書くのがいいか私生活のことを書くブログに変えるか、ただ私は愛してよ愛してよ人間ではないので自分の写真を沢山載せたりライフスタイルを公開することはないよなと思いつつこれからどうするか思案中です。


自分を徹底的に客観視する。こんなワークをやったおかげて自分の取った様々な行動が客観的に見れるようになって来ました。


今日のお題「なぜ私はあの人を遠ざけたか」


人の防衛機能はとても強くまた完璧です。自分の見たくない現実を見ないため、気づかないようにするために日夜活動しています。


人は自分の見たくない現実や気づきたくないことを直接言葉にする人、行動でそのことを示す人、または暗示する人を遠ざけようとします。


何故ならば、その人がそばにいると自分の弱さや現実があらわになってしまうから。似たような仲間と話をしている分には比較対象する必要がないので安心できますがそのような人がそばにいると安心できません。


「成長ごっこ」は楽しいけれど自分の本質と向き合い闘いながら成長するのはやりたくない。こんな人のそばに、自分の現実と向き合い、闘っている人が現れたら・・・・不安定になります。


そして、防衛機能は完璧なやり方でこの問題を処理します。


「あの人といるとネガティブになる」


「あの人といるとありのままの自分で入られない」


こんなもっともらしい言葉が降りてきて自分を正当化して行きます。


あとは、悩みました、苦しみました、全ては必然、学びだね、感謝だね・・・と「成長ごっこ」で終了。


ダメ押しは、離れたら次々にいいことが起りましたと、なんでもないことをいいことにでっち上げて完全に自己正当化をする。


これを繰り返していると・・・・当たり前だけれど成長はしないよね。

人生の優先順位の上位に「回避」があるのだから。