今月初めに受講したセミナーで行ったワークで、自らが作成した資料を眺めながら様々な考えが頭を駆け巡っています。
その中でいろいろな自分と出会い、対話をしています。様々な現実から逃げ続けている自分と対峙するのは辛い作業です。そしてこのまま逃げ続けた結果どうなるのかを予測して文章にする。
この文章は予言でも予報でもない紛れもない将来の自分の姿だといままでの人生を振り返ると確信が持てる。
さて、人は無意識に見たくない現実から目を背け逃げています。ワークの中で自分を客観視することで分った自分の見たくない現実。そして自分は無意識のうちに様々な行動をとって自分を防衛している。
その一つは前にも書いた「気づき」
そして「私は○○だ」とか、自分の価値観は○○だから価値観に正直に生きるとブログなどで宣言することで自分を防衛している。
本来取り組まなければならないことをやりたくないので他のことに夢中になる振りをして自分を守ったりする・・・・檜舞台に上がるなんていうそうです。
「あの人といるとネガティブになる」とか「あの人が嫌」とか「あの人といると自分らしく生きられない」などの感情が上がってくる時は、その人がいると自分の弱さが分ってしまうので回避することで自分を防衛していた。
躁的防衛、これは「ポジティブになれば上手く行く」とか、ネガティブな感情を味わいたくないからポジティブに考えることで自分を防衛する。
まだまだありますが、主なものはこんなものか。
あるメソッドを使って自分で防衛システムを見つけて打ち破っていく。そんなことをしていたら他人が逃げているのもよく分かるようになった。自分も他人も責める必要はない、自分の場合は「で・・・・どうする」と考え解決方法を見つけ行動するだけ。
他人は・・・・・無視する。
自分で見つけて認めたから文句も言えず逃げることも出来ない。だけれども、他人に言われたら・・・・その人から離れるか、その人を低く見てその発言の重要度を下げるか、その人を非難するか・・・多分自分ならそうやって自分を防衛するでしょう。
尊敬する人、大好きな人から言われても相当の葛藤があって逃げない自信はありません。
「全てを受け入れる」とは突き詰めると本当に厳しく辛いことなんですね。
「私は受け入れます」と言うのも実は逃げている。言う前に行動で示さなければ受け入れたことにはならないと言うのが厳しい現実です。