前回は人間が見て認識している世界は自分自身の脳により作られた世界だということでした。
では人はどれくらい見ていないのでしょうか。
写真の一部分がどんどん変わっていくのをゲストが当てるというテレビ番組があります。
目を凝らしてみていてもなかなか分かりません。特に速いスピードで変わるとまず見つけるのは不可能です。
写真の中のある部分がどんどん消えていったり、模様が変わっているのに気がつきません。
つまり、人間の視覚はその大部分が脳の働きによって補完されているため現実とは違っていること。
そして、人間はピンポイントでしか現実の情報を得ることが出来ないことが分かります。
人は視覚に限らず嫌いなもの嫌なものほど味わってしまう特性があります。
例えば人は嫌いな食べ物ほど味わって食べているのです。
逆を言えば美味しいと思っているものはほとんど味わっていません。
ちょっと話がそれるかもしれませんが、事務所の相棒はワイン・エキスパート、利き酒師、ビアテイスター、焼酎オーソリティーの資格を持っています。
以前彼がこんな話をしてくれました。
「本来アルコールは身体にはよくない。人間の身体はよくできていて身体によくないものは美味しくなく感じるように出来ている。だから生まれて初めて飲むお酒は大抵不味いものだ。しかし、お酒は飲みたいので不味さを感じないように経験でお酒を口に入れると舌を微妙に変化させて不味さを感じないようにしている。つまり、不味いと感じる部分にお酒があまり当たらないようにして飲んでいる。」
飲みたいという思いが不味いに勝るのでわざと味わないようにしている。
つまり、美味しいと言いながら飲んでいるお酒を人は舌全体で味わっていないのです。これがお酒ではなく人だったとしたら・・・・
嫌いな人ほど凝視して味わってしまう。
その人の嫌な部分を凝視して味わってしまう。
視覚も同じです。
例えば好きな人はほとんど脳が補完するよいイメージで認識しているのでとても素敵に見えます。・・・恋は盲目ですね。
逆に嫌な人はその人の嫌な部分をピンポイントで凝視するため脳の補完が入らず嫌な部分が際立って見えます。
人間は視覚情報が他の器官の情報よりもはるかに多いですから、人の外見であれが嫌い、これが嫌いと所謂『嫌』が多い人ほど人の嫌な部分を沢山見るので中々相手が見つからなくなります。
『嫌』が優先するのでお酒のようにわざと味わないようにはしません。
過去のデータや記憶などで補完された現実ではない視覚情報により人を判断すると出会いが減りまた絶好のチャンスも見逃してしまう。
まぁ・・・僕もその傾向はあるので気をつけなければなりませんが。
つづく