いま時代は新しい物語を必要としている。 その1 | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

日本では明治維新から始まった成長・拡大・効率化という近代のOSが終焉を向かえ、いま多くの人たちが物語を喪失しています。


といっても今までも物語を書いて生きていた人はおそらく20対80の法則で全体の2割の人たち、残りの人たちはその他人の書いた物語に便乗したり、ただ時代の流れ流されて一生を終えていました。


いまはどれくらいの人が物語を書いて生きているでしょうか、僕は5%位の人が新しい時代に向けて新しい物語『希望のシナリオ』を書いていると感じています。


これから10年後に自分はどうなっていて、どのような社会を創っているのか。


古き良きものを引き継ぎ、古い価値観を手放し、どのような価値観を創るのか、すべては物語です。


では、どういった人たちが新しい物語『希望のシナリオ』を書くのか、それはカオス・エッジ(混沌の淵)にいる人たちです。


カオス・エッジにいる人たちは、今の体制に疎外感を感じている人たちです。疎外感を感じる中で自分はどうしたいのか、何をすべきなのか、常にモヤモヤしている。


全ての物語はここから始まります。


今いるレベルよりも高いところに行く時に人は疎外感を感じる。


今ブームの幕末の志士たちもカオス・エッジにいる人たちでした。体制の中にいる人ではない。

出来れば今のままでいて欲しいなんて絶対に思っていなかったでしょう。


大きな誤解があると思いますが別に幕末の志士たちが立派な人間だったわけではありません。人格者でもない。間違いなく良い人ではないです。

だって、自分と意見の違う人を天誅といって切り殺したりしていたわけですから。

彼らはとても野心家でした。


例えば、長州の高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、井上馨などは今の品川にあった土蔵相模という遊郭に入り浸り藩のお金を使い遊びまくっていた。

今で言うならば、会社のお金でソープランドにキャバクラ三昧の生活をしていたのと同じ。


吉田松陰も自らを「狂」と言っていた今風に言えば危ない人でした。

坂本龍馬も何をしていたか分からない時期があり、おそらくアヘンの運び屋をやっていたとの噂もあります。


時代が彼らを英雄にした。


それは、彼らがこれからの日本をこういう国にしたいと物語を書いたからです。



今は、幕末と同じ状態と言われます。

だからこそ、いま新しい物語『希望のシナリオ』を書く人たちが求められているのです。


つづく