皇居に行って来ました。 | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

昨日は早起きして皇居に新年の一般参賀に行って来ました。


皇居は以前宮内庁に参観申し込みをして行ったことがあるので今回は二度目の皇居です。


皇居前広場の道路では。


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皇居前広場で手荷物検査と身体チェックを受けて列に並びます。


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実はこれが本当の二重橋。橋の向こうには伏見櫓が見えます。


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皇居正門石橋を渡り二重橋に進んで行きます。


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二重橋を渡るといよいよ長和殿


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いよいよ御出ましです。


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後ろにいた若者たちが、本物だ、スゲースゲーを連発。

こんなに日の丸が振られているのは府中競馬場以来だ・・・・おいおい


感激しておりました。



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とても感動的な体験をさせていただきました。


来年も行こう。


天皇弥栄(すめらぎいやさか)


いま民主党は女性宮家創設を企てています。神話を含めて2672年ずっと守り続けた男系の伝統を断ち切り皇室の失墜を企てています。



倉山 満 砦より引用


 元旦早々、最近「国売新聞」と名前を変えたらしい読売新聞に、これでもかと気分が悪い記事が。

「女性宮家」創設の場合、夫も皇族…政府検討へ
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111231-OYT1T00536.htm

 旧皇族の方々を
「皇籍を離れてから60年も立っているのだから」
などと夫候補から排除する以上、ただの民間人(臣下、皇室と縁もゆかりもない人間)を女性宮の旦那さんにする気満々ですね。それを何と呼ぶか?

皇室簒奪

 簒奪とは乗っ取りのことです。

 世界中の独身男性諸君には女性宮の夫となる資格が生じ、皇族として殿下と呼んでもらえ、自分の子供を天皇にできる。

 蘇我入鹿も藤原道長も平清盛も足利尊氏も徳川家康も、その他歴代権力者の誰もできなかったことをできる道が開かれます。

 ただ一人、足利義満がこれに近いことをやろうとしましたが、寸でのところで頓挫しました。もし義満があと一か月生きていたら危なかったのですが。

 それを羽毛田信吾宮内庁長官はいとも簡単にやろうとしています。
 見上げたものですな。

 今の制度は、「男系」は男性排除の論理であり、一度の例外もなく二千六百年守られて生きた先例の蓄積です。なぜ旧皇族の復帰という手段を排してまでこの先例を破ろうというのか。

 今の制度では、臣下の女性は皇族になることができます。
 出産ができるからです。
 男は絶対にできません。
 ところが宮内庁はこれを変えようとしている。
 なぜただの臣下の男性が皇族になることができるのか。
 理由をどう説明する気なのか。

※最近、国語力がない輩が多発しているので注意。
「出産ができない女性に価値はない」と言ったなどと曲解しないように。「男性に価値がない」と言っているだけなので。

 繰り返しますが、旧皇族の方々を「60年も皇籍を離れているのだから」などと排除し、
皇室と縁もゆかりもないただの臣下を連れてくるなら、「0は60よりも大きい数字になる」ということを証明してもらわねば困りますね。
 宮内庁は算数も変える気か?

 また、この記事ネットだと簡潔ですが、本紙では延々と「配偶者となる男性の権利と義務」とか実にくだらないことを書きまくっている。
 どこまで日本国憲法に毒されているのだ?
 女系推進(容認)論者は知っているのだろうか。
 東大憲法学の「天皇制廃止論」の有力な根拠が「天皇制は天皇・皇族の人権を侵害している」なのですが。

 こういうことを言うと、意味不明な官僚信仰で羽毛田長官のような陛下の側近が変なことをするはずがない、などと言い出す人がいて困るので釘。

 羽毛田長官、ただの厚生省(旧内務省)の天下りで宮中儀礼の専門家でも何でもないですから。
 ついでに役所の事情をよく知らない素人さんが持ち上げる渡邊元侍従長も外務省の天下りです。同じく宮中儀礼の専門家でも何でもありません。
 私だって宮内庁プロパーの人に比べれば宮中儀礼の専門家でも何でもないですが、羽毛田氏や渡邊氏はさらにド素人ですからねえ。彼らの歴史に対する知識の浅さにはあきれ返る。プロとして仕事に誇りを持て、と言いたい。

 日本を滅ぼしたい勢力の声が聞こえてくる。

あと一歩だ!

 これは4月と6月に政変ですな。ただし、解散総選挙は何の解決にもならない。

 何よりも大切なことは、国民の怒りが燎原の火のように広まることです。


引用以上


さて、今日は士規七則について。


以下引用


士規七則は、約して三端と為す。曰く、志を立てて以て万事の源と為す。交を択(えら)びて以て仁義の行(おこない)を輔(たす)く。書を読みて以て聖賢の訓を稽(かんが)えると。士、苟くも此に得る有らば、亦た以て成人たる可し。 (安政二年(1855年) 吉田松陰「士規七則」)


「士規七則」を要約すると3点となります。1点目は、志を立てる事を物事の出発点とする事、2点目は、交流すべき友人を選び、自分自身の正しい振る舞いの助けとなる様にする事、3点目が、読書により歴史に残る英雄・偉人の軌跡を学び、自分の知識・人格形成に役立てる事、というものです。大事を成し遂げようとする人は、ここに何かを得る事が有れば、成功し、立派な人となる事が出来るでしょう。


引用以上


これから大きな変化が起ころうとしています。ですからその中で自分は何をすべきなのかまず志を立てることが大切です。志とは目標とか願望とは違います。自分が社会のため、後世のため何をすべきか何を成すべきかを決めることです。


付き合っている人を見れば大体その人のレベルが分かります。


読書は今はやりのノウハウ本とかではなく、歴史を通して生き続ける良書を読みましょう。


実際に大きな変動は今年の半ば辺りからジワジワと進んで行くと思われます。

最後の準備期間です。


兜の緒を引き締めていきましょう。