東洋と西洋の文化が交差する場所、トルコ。教会とモスクが混在し、アジアともヨーロッパとも分類することができないこの国に対して、何かしらの具体的イメージを持つ日本人はそれほど多くないように思う。あるとすれば、ケバブや伸びるトルコアイス、サッカーファンにとっては2002年日韓ワールドカップで3位の大躍進を果たしたといったイメージだろうか。

上述したような世間の一般的なイメージしか持ち合わせていない一人の大学生が2015年の夏から10か月程度トルコの首都であるアンカラに滞中に、西洋と東洋の間という立地に起因する文化的多様性も、元々もっていたトルコのイメージも衝撃とともに吹き飛んでいた。たった1年にも満たない期間の中でトルコの良い面も悪い面も垣間見た結果、すべてひっくるめてトルコが大好きになり日本に帰ってきた。トルコの魅力を少しでも伝えたい、ただ一般的な情報はインターネットを介して簡単に収集できる今、生活の匂いを持った情報を発信できれば、というのが本ブログの表向きの目的として位置付ける。単に大好きなトルコを語りあえる人を見つけ楽しみたいという裏の目的は心の底にしまっておく。

              往々にして他人の海外体験記というのは、発信側の圧と受け手側の興味が絶対的に釣り合わないことが多いものだが、発信者の根底にある要素を共有しておきたい。

              私がアンカラに滞在していた2016-2017年は、シリアでのIslamic State(IS)の台頭に伴うシリア難民の増加、クルド過激派のテロの頻発と治安の悪化が目立った時期であった。衝撃的だったのは、2016715日に発生したクーデター未遂。トルコ軍の一部が暴走しイスタンブール、アンカラの橋や空港、首相官邸等の要所を戦車・戦闘機で占領した事件だった。日本に帰国する前日に、イスタンブールのホステルでテレビに噛り付く様に事の推移を見つめていた私は、明日無事に帰国できるのかという直近の不安と、トルコという国が名ばかりと批判されながらも維持してきた民主主義が、軍政にとって代わられてしまうのかという国の行く末を心配する気持ちでいた。

              結果、このクーデターは失敗に終わったが、エルドアン大統領がテレビを通して民衆に訴えた、街に出て反乱軍を制圧せよ、民主主義を自ら守れ、と語った言葉、そのメッセージを受け一般民衆が道路に飛び出し戦車から兵士を引っ張り出し、戦車の上でセルフィーを撮る様子は、驚愕とともに一つの歴史的場面に立ち会っているのだという感覚を私に抱かせた。国の未来を自分達で決める、民主主義は自らの手で守るのだと本気で思い、行動している彼らの姿とその熱狂に一種の羨望を抱いた。

              イスラム教を国教としながらも多くの国民はお酒も飲むし緩いイスラムと括られることの多いトルコ人の異なる一面を目の当たりにして、もっと彼らのことを知りたいと思う気持ちが現在も続いている。このブログでは、奥深いトルコという国、そこに住む人々について私も共に学びながら、一人でも多くの人がトルコファンとなることを願いながら情報を発信していきたい。