現代は情報の時代と呼ばれるほど


情報は欠かせないものとなっている。


情報は財産であり


金儲けの道具としても使える。



かつて情報は伝聞によって得るものであった。


それが文字の発明により


より的確に相手に情報を伝えることが可能になった。



メディアの進化を辿れば


新聞→ラジオ→ニュース映画→テレビ→インターネット


といったところであろうか。


驚くべきはこの進化が


前世紀の100年の間に起こったということだ。



さらに発進する媒体も


公共性を帯びた大きな団体から


私的な目的を持った個人へと


細分化されている。



例えばこのブログ。


日記のようなものであるが


かつて日記といえばカギまでつけて


人には見られたくないものであった。


それを現代ではネットというメディアに発信し


自分の知らない誰かが閲覧することも可能だ。



このように情報が爆発的に増加している中で


我々はどのように取捨選択をしていけばよいのであろうか。



公共性を持つメディアは


社会的な責任を果たさなければならないため


ある程度の信頼が置けることは確かだ。



しかしながらネットに流される情報に


責任を帯びたものは少ない。


あくまでうわさのようなものであり


裏付けの取れた情報は微々たるものであろう。


某巨大掲示板の管理人も


「うそはうそであると見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」


と発言している。



うそはうそであると見抜くためには


前提としてある程度の常識や知識が必要なわけだが


その常識や知識を身に付けるためには


確かな情報がいるわけだ。



現代はまだ確かな情報と認識された


常識や知識が生きている。


しかしながら、その判断がつかない内から


様々な情報に影響される世代が登場した場合


確かな常識や知識はそこに存在するのであろうか。



言い換えればその世代にはスタンダードが存在せず


個々の情報を好き勝手に取捨選択した


まとまりのないスタンドプレイヤーばかりが存在するのではなかろうか。


そうなれば今までの常識や確かな知識も


莫大な情報のうちの一つに成り下がる。



情報やそれを媒介するメディアは


今このときも恐るべき速さで進化し、増加し続けている。


人間のキャパシティもそれに合わせた進化をしないと


それこそまとまりのないスタンドプレイヤーばかりになってしまう。


なんだか怖いなぁ。



まあそんな感じで。




おわり。