新しい年を迎え、久しぶりの一家団欒の1番幸せな時を奪った令和6年能登半島地震


長年住み慣れた家や仕事、地震直前まで一緒にいた大切なご家族を喪った方も多くいらっしゃいます


あの日、あの時間から時が止ったまま深い悲しみや将来への不安をかかえ耐えていらっしゃる被災された方々


それでも、前を向いて懸命に頑張っていらっしゃいます。


被災された方々のお言葉の中で印象に残っているのは

「忘れないでほしい」というお言葉


忘れられてしまうかもしれないと言う不安は恐怖にも近いと私は思います


被災地・被災された方々を、ずっとずっと忘れずに寄り添っていたいと言う思いが日に日に強くなります


毎月1日の義援金振込みは生涯続けていきたいと思っていますが、その他私に何ができるのか、、、


やはり、歌い続け伝え続けることではないかと思っています


今朝の北國新聞の1部です



今日、震災から半年という事で様々な報道がされご覧になった方も多いと思います

その中で、私が感じた違和感のある報道について書かせて戴きます

仮設住宅に入居している、ある高齢の女性にインタビューしている報道なんですが、仮設住宅の不便さや不満を話させ、そのまま報道されました

しかも、高齢女性のお顔とお名前まで映し出されたのです

あまりにもデリカシーのない報道ではないかと怒りさえ覚えました

都会と違い、どこのどなたなのかすぐに分かります

その高齢女性のことを思うと心配でなりません

震災前の生活に比べ仮設住宅での生活はご不自由なことがあるのは当然です

この事を何故今報道するのか分かりません

今もなお、仮設住宅にも入れず2288人の方が避難生活を送っていらっしゃいます

ビニールハウスで生活している方もいらっしゃいます

珠洲市・輪島市・能登町・穴水町・志賀町・七尾市・かほく市・内灘町、、、
今もなお断水している地域も多くあります

そんな中で不自由な生活を強いられている被災者の方々に対する思いやりも感じられません

私は今、動悸と震えが止まりません
ちょっと具合か悪くなりました

ごめんなさい、私の勝手な言い分かも知れません
考えすぎでしょうか
でも、どうしても納得できません