熊本にお住まいの井上眞澄様が大切にして下さっていた、昭和61年3月(1986年)発行の後援会報『花の木 No3』のコピーを戴きました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220214/19/shimazu-etsuko/8f/6b/j/o1080067515075132727.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220214/19/shimazu-etsuko/af/98/j/o1080067515075132730.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220214/19/shimazu-etsuko/3d/f2/j/o1080067515075132731.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220214/19/shimazu-etsuko/0a/8b/j/o0837108015075132736.jpg?caw=800)
昭和55年3月15日、鹿児島をあとにした私は、静岡鉄道(株)さんに観光バスガイドとして2年半お世話になりました。
昭和57年10月15日、退職したその夜から演歌歌手島津悦子としての活動が始まりまり、しのび宿(1988年4月21日発売)でメジャーデビューするまで様々な経験をさせて戴いた事が、現在の島津悦子の原点となっています。
懐かしい会報を再び目にする事ができ、とても懐かしく嬉しく思っています。
あの頃の私、歌謡界の厳しさも全く知らず、ただただ真っ直ぐに純粋な気持ちで懸命に、夢に向かって走り続けていました。
あの頃の私に言ってあげたい。
「良く頑張ったね。本当に偉かったね」と
井上様、島津悦子の原点を思い出させて下さって本当にありがとうございました。