2002年の今日、5月19日14時20分過ぎ
旦那様は「脳内出血」のため緊急搬送されました救急車

当時、私は豊島区要町に住んでいたんですが、その日はちょうどお休みで掃除機かけてました。

何と、本人からの電話で尋常ではないことを知ったんです。
「俺はもう駄目やから、頑張って一人で生きていきなさい」
そして「俺は悦子が好きやー」と何度も叫んで、そのうち言語障害で言葉が聞き取れなくなり、、、病院に搬送されました。

バリバリ働く旦那様は、それまで病気知らす。
夜は毎晩片町の飲食店に出没し『片町の虎』と呼ばれていたそうですよガーン

無理がたたったのだと思います。
行動力のある人が突然身体の自由を奪われ、働き盛りの54才で右半身不随となった訳ですから、、、本人の気持ちを考えると胸が痛みます。
よく18年頑張ってきたと思います。

あの日、ただただ「生きててほしい」その思いだけで小松行きの飛行機に乗りました。その事を思い出すと今でも心臓がバクバクします。

私は当時40才。デビュー15周年に突入したばかりでした。
秋に東京・名古屋・大阪でのコンサートも決定していましたが、病院から仕事に行ってる状態でしたのでコンサートは無理じゃないだろうかと思い、中止にして戴くかどう迷ってました。

その事を、少しずつ喋れるようになってきた旦那様に話すと「絶対に、自分の足で歩いて3ヵ所とも観に行くからコンサートやってほしい」と言って、逆に励ましてくれたんです。
そしてプロポーズ。
はい!病院でプロポーズされ、病院で婚姻届にサインしました。

ちなみに、予約してくれていた婚約指輪は私が買いに行きました爆笑

とにかく毎日黙々と字を書く練習したり、いっぱい汗かきながら一生懸命リハビリやってましたよ、
そんな後ろ姿をずっと見てきて、凄い人だなぁと思いました。

指1本動かなかった状態から少しずつ少しずつ動くようになり、そして歩けるまでになり本当に3ヵ所とも歩いて来てくれたんです。
その努力には頭が下がる思いでした

私も昨年リハビリやって初めてわかった事もあります。
痛いんですよね。
それでも、やはりリハビリは自分自身、本人の意志が一番大事なんだと思います。

まわりが「リハビリ頑張ってやってね」と言ってもダメなんですよね。
それから、何でも手助けしてはダメなんです。
手助けする事は簡単ですが、本人の事を思えばこそ心を鬼にして自分でやらせなければいけない場合もあります。

やってあげる事より、やってあげない事の方が辛いですよね。

皆様、ご自身の健康を過信せず、どうかくれぐれも健康にだけはお気を付け下さいませピンクハート
きっと!笑顔でお会いしましょうねチョキ