40年前の1980年3月15日、静岡鉄道(株)さんに就職のため鹿児島をあとにしました。

鹿児島空港で、両親・兄・弟に見送られた事が、まるで昨日の事のようにはっきり思い出されます。
母からは「あんたはすぐ人を信じてしまうから、ハンコだけは押すな」と言う言葉。
父からは「これを持っていけ」キャベジンの大ビンをくれました爆笑

姉は、一緒に静岡に来てくれて数日過ごしたと思います。
淋しくないようにと、会社の粋な計らいでした。

飛行機に乗る直前「あとでお父さんたちに渡してね」と、両親宛の手紙を兄にあずけました。
両親は、県外に出ることを反対していましたが、3年したら帰るという約束で許してくれたんです。

そんな両親への手紙は、県外に就職してごめんなさい。と言うことと
私にはもっと大きな夢があるから頑張ってきます。
と言うような内容でした。

大きな夢とは歌手
でも、なかなか歌手になる手だても無く3年目を迎えた時、親にも相談せず自費出版のレコードを作っちゃって、バスガイドを2年半で辞めて、その日から静岡市内のスナックやクラブ・キャバレーでの手売りキャンペーンをはじめたんです。
20才と10ヶ月弱の時でした。

そんなこんなで、約束の3年間をやぶっちゃったてへぺろ

その後、1988年4月21日しのび宿ようやくメジャーデビューできて、やっとスタートラインに立てましたルンルン
嬉しかったなぁ~ラブラブ
本当に嬉しかったピンクハート

実は、今日は母の誕生日バースデーケーキ
お陰様で83才になりました。
夫婦で鹿屋まで遊びに行って、お祝いのランチしたようです。
いつまでも・いつまでも、仲良く元気で長生きしてほしい。

産み育ててくれた両親に感謝の気持ちでいっぱいです。