続きまして2年前の2011年にへき地・離島周産期フォーラムを開催した種子島の麻酔科医、高山千史先生のメッセージです。高山先生は麻酔科医として帝王切開をする際の産婦人科医のよきパートナーとして活躍されています。
平成19年4月,種子島島内で唯一の産婦人科池田医院院長池田医師が,12月31日での産科の休診を宣言した。
島内にあった他の2つの産科医院が相次いで廃院して2年。年間約280件の妊娠・出産を,1人だけの産婦人科医で扱う中,周産期医療に対する設備やスタッフ不足・救急搬送時の煩雑な手続きなど,島内外のバックアップ態勢が充実していない状況で,お産を扱うのは困難かつ危険と判断した上での”休診“というSOSを発信する決断をしたのである。苦汁の決断であった。
当時,池田医師は38歳。本州に妻と2人の子どもを残し,単身赴任をしていた。ここ2年間で10日ほどの休みしか取れていなかった。彼の中にじわじわと押し寄せる精神的金属疲労。種子島島内で唯一の医師仲間とも言える田上病院麻酔科であった私は,池田医師の不安と焦り,疲労感を感じ取り心配していた,その矢先の出来事だった。
その後,医師確保については,県医師会・県当局・地元対策協議会の尽力もあり,住吉稔医師が,新設の島立種子島産婦人科医院に着任することとなった。しかしながら,医師確保は単なる一時しのぎであることへの共通認識から,模索が始まった。一人体制の産婦人科医が、孤立した周産期医療体制に陥らないように配慮のうえ,島内外から様々なバックアップ体制が実施されることとなった。
経済学的側面から産婦人科医院存続による効果を解析したところ,実に3億以上の金額が,種子島経済のパイの創出に貢献したという結果が得られた。ここからも,島にとって,周産期医療は重要な産業であることが言える。
その後も、助産師問題など、幾つかの危機的状もあったが、妊婦・住民・行政・医療者、地区全体の基本的情報の共有のもとに克服し、平成20年の医院開設以来、1300人以上の新しい命の誕生を守り続けている。