火のある暮らし


ここは友人の山の家のかまど。


私の小さい時、死んだおばあちゃんの本家にもかまどがあって、

法事の時はそのかまどでごはんの支度をしたり、

年越し前の餅つきもかまどでやってたことを思い出す。(もちろん大人達が)

おばあちゃんの兄弟は12人いたので、法事をしようもんなら、パーティーのような状態で、

男達は酒を飲み、

女達は台所仕事。

子ども達はその周りをウロウロと遊びまわる。

子どもながらにその記憶は鮮明にあって、

楽しかった思い出として、私の中に今でも深く刻まれてる。

何かを教わったわけじゃない。

その時は日常として過ぎて行った記憶

それが今でも自分の中にこんなにも深く息づいてるだなんて、すごいこと。


いつも水汲みにいくところの水辺のにおいが

その当時のおばあちゃんの本家のにおいとそっくりだっていうのに気がついたのは、ここ数年のこと。

誰かが言ってた、

シダが生えてるところには精霊がいる、と。

清らかな水を含んだような、澄んだ空気の神聖さ

そうだろうな、って思う。



0フォース 千賀一生

最近読んで胸が高鳴った本。


ヨガの哲学を学んでた時、火メラメラっていうのはとても大きな役割をになっていた。

それが寺院となり、今のヨガに至るんけれど、

この本に書かれてる、縄文のこと。

この人たちも火を大切にしてた。


朝、太陽の光を浴びること。

それは自分の中に太陽の火を入れること。

1日元気で過ごせるように、火を分けてもらう。

これが、太陽礼拝🌞

全ての存在を認めて受け入れて、

自分のことが大切と思うのと同じように、全ての存在を認め許し、共存する。

そこには、摩擦がなく、争いがなく

ただ、ある。存在してる。

決しておごらず、比べず

淡々と、自分のやるべきことを愛を持って行う。

そう、調和しかないのだー(^^)

一年前の今日、太陽礼拝のこと熱弁してた。




マヤの映画上映会にお誘いしてもらって行った時、

只々、懐かしかった。

私は前世でマヤ文明にいたかどうかはわからないけど、ネイティヴアメリカン的な暮らしをしてたんだと思う。

天と地をつなぐような生活を。

そして、もしかしたらいろいろな迫害を受けてたのかもしれん。

それが今の私にも影響があって、

社会の理不尽や、政治の私欲的な在り方に

腹の底からぐわっと湧き上がるような怒りとなって出てくるのかもしれんな、って思った。


って、自分で思ってしっくり来てるから、そうなのだろうと思う。


天と地と繋いだ暮らしを取り戻して、

愛と調和の世界をもう一度取り戻すっていうことを実現させるっていうのが私の今世のテーマなんだわ。


ってことがちゃんと腑に落ちた。

知ってたけどね。

腑には落とせてなかったかもしれん。


自分の道を歩みはじめると、豊かだなって思う。

やりたいことをどんどん実現させてって、

それを見てる子ども達にも、影響を与えるということ。

命は命に繋がってる。

カッコつけず、生き様を見せていきたい。

そのままの、カッコ悪い自分もいいじゃないか。

それが人生なのだ!!


そ、生き様を見せるってことも、

火入れなのかもしれんな、命が命に渡される。

受け継いでいく。



そんなことも、ヨガではお話したりしてます◎

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