実父の相続の手続きが、いよいよ終盤になってきている。

 

いろんな書類を揃えながら、相続税を払ったのが昨年の終わり。

あとは、母が相続するようになったものを母のところへ移動させるのだが

そこも色々めんどくさい。

 

相続人代表として、一旦私の口座に入れる方が手間が少ないのでそうして

そこから、母の口座へ移動させる、というのをやったり。

何せ、そうじゃないと本人が行かないといけなくて

認知症があるのでそれが難しいし、色々手間なので

やっぱり、いったんこちらが受け取って、となっている。

 

昨日は、昼休みに郵便口座の移動手続きがようやく完了。

相続手続きで銀行に行くと、不快なことが色々あったけど

比べると郵便局は相当親切ニコニコ

労ってくれる感とか、大変だねーとしてくれる感とか。

なかなかに、好印象だったのでありました。

 

郵便局か、信用金庫か、って感じですね。

 

そして、ここに至って父がかけていた保険金の受け取りもあり

それに、どうしても「死亡診断書」が必要と言われてまたひと手間。

除住民票とか除籍謄本ではダメですか、と何回聞いてもダメ。

すでに手元にはなかったので、書いてくれた病院から写メのコピーをもらった。

 

めんどくさいなー、と散々思ったのだけど

あ、そうか、保険会社には、「どうして死んだのか」がすごく大切なのだと気づく。

保険金殺人とかあるもんねー、そっかー、と変なところで納得した。

 

死亡診断書のコピーは、

死後3年くらいは

保存しておいた方がよさそう。

 

相続に必要な手続きはあと1つ、というところまで来たので

昨日は、ご褒美にスイーツを旦那さんとシェアラブ

 

 

 

色々大変だけど、やれば必ず終わるのだ、と呪文のように唱えつつ

終わりが見えてきたので、やっぱりやれば必ず終わるのだ。

 

最近、すごく思うようになったこと。

 

自分の気持ちを大切にしたり、自分の思いのままに行動するのに

「正しさ」なんて必要ないのだ、ということ。

自分が何かをやめる、そんな時にそれをしなくていい「正しさ」を求めると

必然的に、相手を批判することになる。

すると、相手の悪いところばかりに目がいくようになるし

気持ちがトゲトゲして、相手を責めるようになる。

 

世の中や仕事には、「ねばならない」がたくさん溢れているけど

日常生活の中には、自分を大切にしてやらないでいいことが

実はたくさんあるような気がする。

 

誰かの愚痴、聞きたくないから聞かない、とか。

それ自体がいい悪いではなく、私が嫌だからやらない、ただそれだけ。

 

先週は、某役者さんの公演に行かないことにした。

飲酒して器物破損し、お披露目公演が中止になり謹慎することになった。

お披露目公演を見たさにそのチケットを購入しようとしていたので、

お披露目が中止になった=夜の公演を見る必要がない=お断り、を

させていただくことにした。

 

この件を巡っては、いろんなご意見があり

役者さんを支える他の皆さんを応援するために行ったほうがいいかもとか

お酒の上での過ちに、そんなに目くじら立てるのは大人気ないか、とか

若い方のこの先を応援したほうがいいのではないか、とか、云々

 

どれも一理あるとは思い、だからこそ悩んだのだけど

結局、お酒の上だとしてもしてはいけないことをするのは嫌だな、という

自分の感覚を大切にしてみることにした。

酔っ払いみんなが、物を壊すわけではないのだし

人に危害が加わってないとしても、やっぱ、嫌なのだ。

また応援したくなるかどうかは、この先の自分の感覚で考えたい。

相手云々ではない、私が嫌だからやめる、至ってシンプルに考えてみた。

 

昨日は、具合の悪くなった愛猫を動物病院に連れていき

検査結果が出るまでに1時間半、誰もいない待合でお会計を45分待たされる

という、私の中ではかなりイライラする出来事に遭遇。

 

これも、相手を責めようと思えば責められる気もするけど、

まだですか?に、「お急ぎですか?」と聞き返してくる受付さんに

ありもしないお急ぎのようをでっち上げるでもなく、

「疲れちゃって」と本音を伝えてみた。

 

病院で働いていると、待って当たり前、みたいな雰囲気はたくさんあるけど

いい悪いじゃなくて、ずっと待ってて疲れちゃったの、

なので、急げそうでしたら早くしてくれないかなー、みたいな気持ち。

一緒に待つミーシャも、疲れちゃったよね。

 

「疲れちゃったの」と口にする時、
相手を責めてもいないし、もっと早くすべき、なんて正しさもかざしていない。
ただ、疲れちゃったのよ、ほんとに。
 
嫌味も言わず、正当化もせず、でも、自分も我慢させない。
そんなことができて、ちょっとよかったかな、と自分では思ったりする。
 

自分の疲れちゃったも、相手のなんらかの状態も

どちらも大切にしつつ、正しさで争わないで

やんわり生きていけたらいいな、なんて思う人生の昼下がりかな。

 

お腹空くとイライラするから、今度はお昼を跨ぎそうな予約には

チョコ持ってこかな、とかも思ったりした。

 

去年、娘が結婚した時に留袖を着たらそれが意外に楽しくて

あー、着物着てみたいなー、と思うようになりました。

 

子育てが終わって、着物を着るお友達が増えてきて

「楽しいよー」と言われても、いやいや😰と思ってきたので

まさか私が着物を着てみようと思うなんて、な心境です。

 

ただ、ちょっとしたオシャレを楽しむのはいいだろうな、と思うのと

やってみたい、と思うことには挑戦してもいいのではないか、という

ちょっとした好奇心照れ

 

というわけで、まずは練習用の着物を買うために大須商店街へニコニコ

着物って、百貨店の広告なんて見ていると恐ろしく高いのですが

大須商店街の古着屋さんには、中古の、とはいえ綺麗な着物が

なんだったら、仕付糸もついたまま売っていたりして

それがとてもお値打ちですラブ

 

色々見て、まずはコメヒョーで練習用の着物を2枚購入。

 

 

後ろの2つが着物で、前が帯。
黄色の着物なんて、千円口笛これなら練習に使えますねーてへぺろ

 

そして、これは一目惚れの帯、パンダ好きなものですから😰

新品が半額以下、で売ってました。

 

買ったからには着なくては、としみじみ思うのでした!

 

チャレンジだっびっくりマーク

 

ずっと、書けないでいました。

どうしていいかわからないまま、言葉にするのも難しくて

時々ひとりで考えているうちに日々が過ぎていった感じです。

 

子どもが結婚し、本格的に子育てが終わり、親をひとり見送り

もう一人の親も、グループホームに入所したことで

てんやわんやの人生が少し落ち着いてきたんです。

 

50代半ば、その時点でふと嫌になったことがありました。

それは、「友達の終わらない愚痴を延々と聞き続けること」でした。

 

大切に思う人のことなので、時々時間を作って悩みを聞くことはする。

でも、同じ内容の改善もされないことを延々と聞くことに

嫌気がさしてしまったんですよね。

 

どうしたものか、と思っているのです。

 

割と仲の悪い夫婦のもとで育ったので、

親の感情のケアをするのが、長い長い間私の役目でした。

なので、いつも笑顔で、「まあまあ」と聞いて慰める、そんな役目。

それが板につき過ぎて、他の方法での人との接し方がわからない

そんな部分があるのかもしれません。

 

友人関係ですら、聞かなくてもいい愚痴を

こちらから電話をかけて、聞きにいっていく、そんな自分に

疑問を感じるし、もうやめようと思うものの、

やめたその先が、まだまだ見えない、そんな感じなんです。

 

こころが、思いっきり迷子になっています。

誰かのために生きることに必死で、そんな時代が終わった時に

どうしていいかわからなくなっている、そんな気持ちですかね。

 

私は、私の人生を生きていない部分がある、

そんなことに気付いたんです。

 

愚痴を取りに行く、それをやめたら

日常にふっと空間ができて、

その時間を、孤独にも感じる自分がいて

 

さて、これからどうしよう・・・と

思っている今日この頃です。

ドタバタと駆け抜けていく11月、1日は娘の結婚披露宴でした。

披露宴前日、洗濯機が壊れるというおまけ付きで😭

しかも、マンションあるあるですぐに買いに行った洗濯機が入らない😱

色々調べてもらった結果、これしかダメです、という洗濯機が発売前😰

 

洗濯機がない=コインランドリー暮らしをしている11月。なかなかに厳しい。

そんな、トライアル期間でした。

 

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こうして、新たな家族をお迎えすることになりました。