去年、なんの変わりもなくPBC12年経過。
今年もブログをさぼろうかと思っていたら(便りのないのは元気の知らせ)、まさかの緊急搬送。
朝から寒気
【 8:00】
寒気に負けず在宅スタート
【10:00頃】
肩甲骨の下が痛くなる
【10:30頃】
痛みが強くなる
背中の中心が痛い
寒気が酷くなる
【11:00頃】
みぞおち・お腹も痛くなる
トイレに駆け込むがそこから動けなくなる
念のため手にしたスマホが役にたつことに
【11:10頃】
呻き声が出てしまう、脂汗も酷い
痛いのは背中・みぞおち
【11:20頃】
なんだか胸も痛いのかも?疑心暗鬼
痛いのはみぞおち?心臓?みぞおち?
心臓のせいだったら…
救急を呼ぶか考えはじめる
【11:45】
近くの病院勤務のダンナに救急呼ぶかも、とLINE
痛みで意味不明の文字列も誤送信
ダンナから電話
私の呻き声を聞いてすぐに救急を呼べ、と
【11:50】
トイレから119番
玄関の鍵を開けておいてと言われ決死の覚悟で這って玄関まで辿りつく
玄関の段差が辛い。なんとか鍵をこじ開ける
力尽きて玄関で転がったまま救急車待機
【12:00頃】
救急到着
現れた救急士さんが神にみえた
心電図?心拍は安定していて救急士さんの声がとりあえずホッとした感じ
痛みで過呼吸になりかけていて手足の痺れ
脂汗の反動で悪寒
しかし救急士さんに囲まれていて心は安心
【12:20頃】
病院到着(ダンナの勤務先)
血液検査、超音波、MRI?心電図?その他色々
どうでもいい部屋着・下着が恥ずかしい
ダンナの同僚に貧乳を見られる
胆管・胆のうが少し腫れている様子
痛みが声を出すほどではなくなってくる
【12:40頃】
私の様子を廊下で見かけたダンナ曰く、私がまったく微動だにしないので意識がないのかと思ったと
痛いことは痛いので心を無にして地蔵体に
【13:10頃】
痛みが治まってきて救急を呼んだ事を後悔しはじめる
だけど救急でなかったらこんなに諸検査をいっきにやってもらえなかったかも。申し訳なさと安堵感と。
総胆管というところから十二指腸にかけての出口に胆石があるとのこと。PBCになって5年目あたりから8年くらいずっと5~6個の胆石持ち。毎年、MRIで胆のうに胆石ありますね~と言われていた石は全部無くなっているという…
いっぺんに移動したのか?移動するとは知らなかった。
翌日、胃カメラで造影をかけつつ胆石を取る。そしたら胆石取れてるらしい。十二指腸に転がり落ちればOKという。胃カメラを抜いたあと、先生から「念のためステント入れといたから」と言われる。石が無いならもういいよ…ステント出すためにもう1回胃カメラ飲むのかよ しかも胃カメラがめちゃくちゃ乱暴。しかし手術医はダンナの勤務先の病院長。文句を言いたい気持ちをグッとおさえる。(心の中で毒づく)
入院初日から3日間の絶食治療。胃カメラの翌日、アミラーゼ値が高いため膵炎の可能性有り。あれだけ乱暴に胃カメラ動かせば内臓も傷つくわい。アミラーゼはその翌日平常値に。だけど石が取れたのに背中が痛い。どこかしら炎症を起こしていたはず。
絶食あけて4日目、重湯を飲んだら下痢になってしまう。重湯でさえ胃が重い。絶食中は点滴のおかげで糖質が保たれ、お腹はすくけど爆発的な食欲は起きなかった。だけど食べたいは食べたい。待望の固形食は明日。
翌日5日目、お粥も少ししか食べれない。全粥になれば点滴は外れると言われたが、小食すぎて点滴復活。しかし固形食を少し食べたおかげ?朝までグッスリ眠れる。それまでは夜中12時に目が覚め、1時に覚め、3時に覚め…とはいえ元々眠りが深いので寝不足感はまったくない。だけど朝までグッスリ眠れて元気になった気がして、翌日、退院を希望。背中はまだちょっと痛むが熱は出ていない。たいした膵炎ではないはず(自己判断)。ダンナから先生に言ってもらったらすんなりOKが出た(自己判断あってた?)
家に帰って真っ先にしたこと。体重を測る。
やったー!!!
2キロ痩せてるぅぅ!!!
これだけを楽しみに絶食を頑張った。体重減ってなかったらただの損した気持ち。
退院翌日から在宅ワーク復活。しかし、やっぱり体は疲れる。病院にいるとヒマで元気になった気がしたけど、通常生活を送るとまだ病人だったことに気付く。
とりあえず忘備録として。