−つづき−




  「学生時代のベストレース」関東10マイル

中央大学に進んだ羽藤さんでしたが、入学直後の2020年4月はコロナ禍でした。「故障したまま入学して、良いスタートではなかったです。入学式もなかったですし、最初はまとまって練習もなかなかできませんでした」。様々な規制がある中で、大学生活がスタートしました。

1年生のときは故障が続き、試合にもなかなか出られませんでした。デビュー戦は2年生の4月。日本体育大学と中央大学の対校戦、オープンの部に出場されました。サブユニホームではありましたが、試合に出られたことの喜びを感じられたそうです。

「大学では練習量も増え、細かいケガが多くて走りも崩れていき、思うような走りができなかったです。ただ、もうダメなのかと思った時も、短期的なスパンで見るとダメでも、長期的なスパンで見ると少しずつできていたので、『これを積み重ねていくしかない』と見失わず、諦めずにコツコツ続けていきました。同級生も吉居(大和)、中野(翔太)、湯浅(仁)とすごいメンバーがそろっていました。個性派の学年で、みんな我が道を行く感じでしたね(笑)」

「学生時代のベストレース」と振り返られたのが、大学3年の12月に行われた関東10マイル。中央大学や順天堂大学など、箱根駅伝出場選手も参加するロードレースです。羽藤さんは48分42秒で優勝を飾りました。

「大学に入って初めての優勝でしたし、ハーフマラソンまではいきませんが、10マイルという距離で走れたのはうれしかったですね。順大と中大が結構出場していて、風が強い中でのレースでしたが、交互に引っ張り合って、残り8kmから自分で行って勝つことができました」。ただ、強い同級生や先輩後輩に囲まれ、駅伝メンバー入りには届きませんでした。

  とにかく必死だった4年間

4年生になると、羽藤さんは寮長を任されました。「3年間、走りで結果も出ず、『チームに何らかの形で恩返ししないと』と思っていました。(寮長は)周りから適性があると言われて推薦されましたし、歴代の寮長だった先輩を見ていて、寮長の業務は自分でもなんとなく合っているかなと感じていました」

寮長の役割ついて伺ったところ「基本的に寮の運営です。環境整備、分担しての掃除、夜の点呼。臨機応変に対応します。例えば寮内で壊れているものを確認したり、雑用的なものやお金の管理もあったりします」と教えてくださいました。

「私たちの同期も強かったですし、後輩たちも勢いがあったので『負けてられない』という気持ちで迎えたラストイヤーは、自分の取り組みに足りない部分があったと思います。周りがどんどん結果を出して、焦りもありました。時間だけがすぎてしまいました」。駅伝メンバーには入ることはできなかった羽藤さんですが、最上級生として応援し、寮長として主将と副将をサポート。メンバーに入れなかった部員のまとめ役をするなど、チームを支えました。

どんな4年間でしたか? という質問には「目の前のことしか見えていなくて、その時その時でとにかく必死でした。今になってみると、もっと長期的な視野で見えていたら、また変わっていたのかなと思います。ただ、すごい経験をさせていただきましたし、充実した4年間でした」と答えてくださいました。

卒業前には地元の愛媛マラソンに招待選手として出場。「この時は故障を抱えてのレースでした。地元での引退レースでしたし、欠場というわけにはいかず、競技生活の区切りとして挑みました。地元ということで、たくさん応援していただいてましたし、最初だけでもしっかり走るところを見てもらいたいとスタートしましたが、15kmくらいから激痛で……。歩いたり、止まったりしながら帰ってきました」。地元の応援を受け、痛みに耐えながらも2時間58分04秒で完走。中央大学のユニホームでのラストレースとなりました。

−つづく−