朝ドラ『虎に翼』穂高先生や
桂場のモデルになっている人は
凄い人たちばかり

穂積重遠は、病に倒れる少し前、最高裁判事として、憲法判断を迫られた二つの事件に関わりました。①昭和25年10月11日判決と➁同年10月25日判決(ともに大法廷判決、刑集4巻10号)です。①は刑法205条「身体傷害ニ因リ人ヲ死ニ致シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス(第一項) 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ニ対シテ犯シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処ス(第二項)」に該当する尊属傷害致死事件、➁は刑法200条「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」に該当する尊属殺事件でした。両判決ともに、尊属重罰規定を合憲としており、憲法第14条が法の下における国民平等の原則を規定したのは、「人格の価値がすべての人間について同等であり、従つて人種、宗教、男女の性職業、社会的身分等の差異にもとづいて、あるいは特権を有し、あるいは特別に不利益な待遇を与えられてはならぬという大原則を示したものに外ならない……しかしながら、このことは法が、国民の基本的平等の原則の範囲内において、各人の年齢、自然的素質、職業、人と人との間の特別の関係等の各事情を考慮して、道徳正義、合目的性等の要請より適当な具体的規定をすることを妨げるものではない。刑法において尊属親に対する殺人、傷害致死等が一般の場合に比して重く罰せられているのは、法が子の親に対する道徳的義務をとくに重要視したものであり、これ道徳の要請に基づく法にある具体的規定に外ならない」(判決➀)と判示しています。

穂積重遠は、この多数意見に反対する意見を残しています。孝は百行の基であるのは新憲法下でも変わらないが、尊属重罰規定によって、「親孝行を強制せんとするは、法律の限界を越境する法律万能思想であって、かえって孝行の美徳の神聖を害するものといってよかろう」というものでした。穂積の意見は、当時は少数意見に過ぎませんでしたが、ようやく、20余年後の昭和48年4月4日の最高裁大法廷判決(刑集27巻3号)によって、違憲判断が下され、その結果、刑法200条および205条は削除されました。穂積は、「出涸らし」としての役割を見事に果たしたのです。

なお、親権をめぐる家庭裁判所での調停・審判について、ここではお話しできませんでしたが、実際の係争事例を参考にしながら、親身になって少年少女に接してその真情を引き出す、「三淵マジック」とも言われているケースを再現したものとなっています。



…「百行」とはあらゆる善行のことで、孝行は全ての善行の根本となるものである、という意味。儒学書「白虎通」の中の言葉で、中国、後漢の第3代皇帝・章帝(しょうてい)が学者を集め、五経(儒教の五つの経典)の解釈を討議させ、まとめたもの。子として親を大切にしたり、親に接するように人を大切に扱うことは、あらゆる善い行いの基本であるという考え。善い介護をおこなうためにも、まずは親や周りの人を大切にしていきたいですね。


朝ドラ『虎に翼』のモデルになっている人は、凄い人ばかりですね。
言葉のひとつひとつに、重みがあって毎日調べています。

出涸らしひとつとっても、
自分は出涸らしになるまで、
やってきているのか?
考えさせられています。

出涸らしになるまで、役に立ってきたのか?
出涸らしになって、苦いだけじゃないのか?誰も飲みたがらない。口にもしない。

自分の人生を振り返って、
これで良いのか?
問答しています。