選手1人とマネジャー1人の野球部 最後の「夏」は部のフィナーレ 

佐渡島の玄関口、両津港から車で1時間半ほど。羽茂の校舎は島の南部に位置する。全校生徒は59人。部活の時間になっても広いグラウンドに人影は少ない。


 カーン、カーン……。一定のリズムで白球をたたく音が響く。外内翔和(とのうちとわ)選手(3年)がネットに向けて打撃練習をしている。球をトスするのはマネジャーの猪股雪那さん(同)。野球部員はこの2人しかいない。


 2人が入学する前年の新潟大会。羽茂は選手11人にもかかわらず、8強進出を目標に掲げた。


 3回戦で敗れはしたが、2回戦は猪股さんの兄昇悟さん(当時2年)が4番に座る打線が爆発してコールド勝ち。この強さに外内選手はひかれた。


 だが、いざ入部すると在籍する選手は昇悟さんを含め2、3年生が2人ずつだけ。前年の秋からは部員不足で、他校と連合チームを組んでいた。


 それでも外内選手は「野球をしたかったから気になりませんでした」。猪股さんは「野球に打ち込む兄に気を使わせると悪いから」と昇悟さんの卒業を待ち、2年生になった昨春に入部した。


部員の減少に歯止めはかからなかった。昨春は猪股さん以外の新入部員はゼロ。その秋から選手は外内選手だけになった。そして昨冬、休部が決定。今春は勧誘活動さえできなかった。


 連合チームの練習に参加するのは一苦労だった。週末などに計良(けら)尚人監督に引率してもらい、両津港を朝の5時半に出るフェリーで2時間半かけて新潟港へ。公共交通を乗り継いで目指すグラウンドに向かう。帰宅するのは夜8時近くになることもあった。


 それでも2人にとって、わいわいとした野球部の雰囲気が味わえる大切な機会だった。


 「週1回でもチームメートに会えてうれしかった。チームワークも良くなりました」と外内選手。猪股さんも「楽しかった。マネジャーたちもみんな仲良くなって」。


 今夏の新潟大会は羽茂野球部のフィナーレだ。計良監督は「翔和には悔いなく思い切りプレーして欲しい。雪那には翔和を全力でサポートして欲しい」とエールを送る。


部の最終章は、3年生の2人にとって「最後の夏」でもある。どう迎えるのだろう。


 「僕は泣きません。悔いはないです」と外内選手。猪股さんは「私は……」と言いよどんで目を潤ませた。


 「おい、まだ泣くなよ〜!」。計良監督が大げさにちゃちゃを入れる。爆笑する外内選手。猪股さんも指で涙を拭いながら笑った。




我が母校の最後の夏は、

部員が9名でした。



8名しか写っていません。






<高校野球和歌山大会:耐久9-0伊都>◇17日◇2回戦◇紀三井寺公園球場


 センバツに3度出場した伊都は学校再編のため本年度閉校となる。9人で最後の大会に挑んだが、無念の幕切れとなった。


1-8で迎えた5回裏2死。守備についていた伊都の遊撃手・柴田寿幸(3年)が突然その場に倒れ込み、熱中症の症状により出場不可能と判断された。バスケット部から助っ人1人を含む9人での出場も試合が成立せず、規定により没収試合となり0-9で敗れた。和歌山での没収試合は戦後初めて。


 担架で運ばれた後、場内では伊都だけでなく対戦相手の耐久のアルプスからも「頑張れ頑張れ柴田」のコールが起こったが、約20分後に最悪の診断が下された。





よく頑張ってくれました。