いよいよ間近に迫ったパリ2024オリンピック。大会を楽しみたい方向けに、さまざまなオリジナルコンテンツをお届けします。今回はリオ2016と東京2020を現地で取材したスポーツライター・矢内由美子氏が「涙の記憶」をテーマにコラムをアップします。







夢に見たオリンピックの舞台で、カヌー・スラローム男子カナディアンシングルの羽根田卓也は二度泣いた。


 一度目はリオ2016。筆者はメインメディアセンターのモニターで戦いを見た。準決勝を6位で通過し、10人で行なう決勝の5番目にスタートした羽根田は、難コースに手を焼いてミスをする選手が出る中、巧みなパドル操作としなやかなボディコントロールで好タイムを叩き出し、ゴールした時点で2位につけた。


 ゴール付近の待機エリアで艇に乗ったまま、残り5人の結果を待った。8番目に出たフランス選手に抜かれて3位に後退したが、残りの2選手はミスもあって羽根田の銅メダルが確定。その瞬間、29歳(当時)の苦労人は左手で顔を覆って号泣した。4位とはわずか0秒13差。

世界のライバルたちが、次々と艇に近寄って肩を叩き、スラローム種目のアジア勢初メダリストを祝福した。日本のパイオニアは「このメダルの意義をライバルたちは分かってくれている」と感謝し、なおも涙をこぼした。




高校卒業後の2006年、単身でカヌー強国のスロバキアへ渡った。まだ18歳。言葉の通じない国での苦労は並大抵のものではなかったが、競技力は確実に上がった。オリンピック初出場となった北京2008は予選14位で敗退したものの、ロンドン2012では決勝に進出して7位入賞を果たした。


 2013年には2020年のオリンピックが東京開催となることが決定。大会に向けた機運が日本国内で高まる中、リオ2016で感無量の涙にむせぶ羽根田の姿は、多くの人々の胸を揺さぶった。


「日本人がこの競技でメダルを獲るなんて、日本を飛び出した10年前には誰も信じていなかった。でも僕は本気だった。競技人生の中で一番高いパフォーマンスが出た」





 涙の乾いた表彰式で満面の笑みを振りまいた羽根田は誇らしげだった。


  緊急事態宣言中には動画でアスリートの強さを発信

「スロバキアに行った当初は若くて、血気盛んで、未熟で、恐いもの知らずだった。世界で戦いながら厳しさも味わい、そういう面ではすごく成長できていると思う。行かなきゃいけなかったと思うし、改めて行って良かったと思う」と話したこともあった。




 それから5年が過ぎた2021年。母国である日本で、1年遅れとなった自身4度目の大舞台を迎えることになった。世界はこの間、新型コロナウイルス禍に苦しみ、アスリートたちを取り巻く環境も激変していた。けれども、羽根田がくじけることはなかった。緊急事態宣言が発令されて外出すらできなくなった2020年には風呂に水を張ってパドルを漕ぎ、動画をSNSに投稿してアスリートの強さを発信し、人々を元気づけた。


以前のインタビューで競技の魅力について羽根田に聞いたことがある。カヌー・スラロームは所要時間とゲートへの接触や非通過のゲートの有無による減点を計算して順位を決める競技。羽根田はその極意について丁寧にかみ砕いて説明してくれた。


「前提として、人工のコースで同じように水を流していても壁にぶつかったり、水同士がぶつかり合ったりすることで水の流れは二度と同じにならない。(コース上で)激流の関門に差し掛かった時、それが不利な流れであればどうやってロスなく通り抜けるかがカヌー・スラロームの極意。逆に有利な流れの時は、それを最大限に使って推進力に変え、タイムアップにつなげられるかが勝敗を分ける技術になる。そこがやっていてすごく面白い」

また、「水の流れを読むこと、感じることは日常会話と同じ。カヌーにはいろいろな技術が必要だが、他の何よりも水の呼吸を読める選手が一番強いんです」とも話していた。



  「日本のカヌー競技にとっても大きな一歩だった」

こうして迎えた東京2020本番。筆者は会場である江戸川区のカヌー・スラロームセンターで試合を取材した。準決勝をカットラインぎりぎりの10位で通過した羽根田は、1番手スタートとなった決勝でも攻めの漕ぎに徹した。序盤の4番ゲートで腕が当たってしまうミスがあったがさらに攻めた。結果は10位。2大会連続メダルの夢はかなわなかったが、最後まで諦めない執念の漕ぎは、リオ2016以上とも思えるすさまじさがあった。





取材エリアに来ると、滂沱の涙を流した。


「2013年に東京でのオリンピック開催が決まった時から、決勝のこの日にすべてを懸けて人生を過ごしてきた。その間にリオ2016もあった。毎日毎日、きのうの自分より成長できるように鍛錬してきたから、悔いはない」


 なおも泣きじゃくりながら、羽根田は次々と思いを言葉にした。


「欧米人が圧倒的に強い競技。決勝まで進んで、ライバルたちと自国開催の舞台で争えたことは、自分にとってすごく大きな意義があるし、日本のカヌー競技にとっても大きな一歩だったと思う。日本人であり、アジアのカヌー選手としてここまで戦っていることを過大評価ではなく、誇りにしたい」と、3大会連続の決勝進出に胸を張った。


 決勝のレースについても外連味のない口調で振り返った。


「すごく難しいコース。ペナルティは大きなロスにはなるが、それ以外のところで取り戻せればと思って攻めた。後半にもミスが出て追加のペナルティがあったので、その内容通りの結果だったと思う。自分の全てを出し切れた。ミスはあったが、攻めた結果だった」


涙の意味を聞かれると言葉を噛みしめるようにこう言った。


「自分なりにこの日に懸けて人生を過ごしてきた。悔しいとか嬉しいとか、そういう一つの感情ではなくて、自分の挑戦がこれで終わったんだなという思い。一生懸命やってきた自分の人生と、その挑戦が今日で一区切りして、いろんな思いが混ざっている」


 カヌー人生が走馬灯のようによみがえっているようだった。



  「清々しく終わりたい」「結果にこだわってやりたい」


「自分がスロバキアに渡った時は、東京でのオリンピックがあるなんて夢にも思っていなかった。世界を目指して18歳で飛び出して、そこから北京、ロンドン、リオを迎えたが、リオの前に東京が決まったので、あの時にスロバキアへ飛び出さなければ今日という日もなかった。18歳から、自分の全部を注ぎ込んで突っ走った」


 だからこそ、情熱の日々を形に残せたことに意味があった。


「リオ2016でメダルを獲った後、多くの人がカヌーに注目してくださったが、これは東京2020がなかったら叶わなかったこと。それも含めて東京2020と皆さんに感謝したい」


 東京2020には「集大成」という思いで臨んでいた。そのため、レース後にはこのように語っていた。


「先のことは考えずに今日という日にすべてを懸けてきた。あとは自分の感情に任せて明日からの人生を決めていきたい」


 東京2020から3年が経ち、今年はパリ2024が開催される。羽根田は2023年10月のアジア選手権兼NHK杯全日本スラローム大会で優勝し、5大会連続となる五輪代表に決定した。持ち味の勝負強さは健在だ。


「自分の気持ちに嘘偽りなく競技に取り組んで、清々しく終わりたいという思いが一番にある。結果にこだわってやりたい」と語るパイオニアの一挙手一投足に注目したい。




今は、どうしているん

でしょうね…

スロバキアの門下生の

お家に遊びにでも行って

るんでしょうか?


AくんとKちゃんの

お家によく来ると

言ってたもんね…


パリ五輪まで、100日を

切りました。




もうすぐです。

ヨーロッパの強敵が

待ってます。


金メダルを目指して

頑張ってほしいなぁ〜。