ビートルズが来日した1966年、GS(グループサウンズ)とともに若者たちの心を捉えた音楽がフォークソングだ。前年から邦楽の制作を開始した本城和治は11組のGSを担当する一方、米国でブームとなっていたモダンフォーク(ピーター・ポール&マリーなどポップスの要素を採り入れたアコースティックなポピュラー音楽)にも注目。同年4月に発売されたマイク眞木の「バラが咲いた」(浜口庫之助作詞曲)は本城のディレクションで和製フォーク初のヒットを記録する。






「ハマクラさんは前年に自分が提供した『涙くんさよなら』をヒットさせた米国のジョニー・ティロットソンのために『バラが咲いた』を書いて、それを新興楽譜出版(現シンコーミュージック・エンタテイメント)の草野昌一専務に預けていたようです。ところが草野さんがマイクのことを気に入って、彼に歌わせようと考えた。その録音に呼ばれたのが私です」(本城)


マイクは日本大学藝術学部の学生で、学生音楽団体主催のフォークイベントに出演していた。詳しい事情を知らなかった本城は新人のデモ音源を録るつもりで現場に臨んだという。

「スタジオにはハマクラさんのデモテープも譜面もなかったのですが、マイクはすでに練習済みで、ギターの弾き語りができる状態でした。いざ録り始めると、素朴ながらも味わいのある楽曲で彼の声にも合っている。あまりに出来がよかったことから、そのまま発売することになりました」

ところが…、ランキング番組の上位に食い込む大ヒットになった頃、浜口から「メロディーと詞の一部が違う」と指摘される。そう、マイクが間違えて覚えていたのだ。

「確認しないまま発売したのはこちらのミスですから、丁重におわびして録り直しました。原盤を差し替えて再発売したのですが、すでにヒットのピークは過ぎていたので、正しいバージョンはあまり行き渡らなかったと思います(苦笑)」

その年のNHK紅白歌合戦で歌唱されるなど、和製フォークを初めてお茶の間に浸透させた「バラが咲いた」はのちに音楽の教科書に掲載されるスタンダードソングとなった。 (濱口英樹)