ごめんなさい。間違ってました。

「『ぼけたらあかん』を書いたのは、大阪府藤井寺市の天牛将富さんという方である。その名字から有名な古書店である天牛書店の創設者・天牛新一郎氏としばしば間違われているようだが、天牛将富さんは出版業界とは関係のない一般人で、1987年77歳で亡くなっている。今回お話を聞けた長男の敏之さんによると、将富さんは病弱で、6回も手術を受けるなど『まさに七転び八起きの人生で、仕事という仕事はしていませんでしたが、詩は好きで、ほかにもたくさん書いていました』。『轍』と題した自分史を自費出版したこともあるそうだ。」(p225)


石川県小松市の那谷寺(真言宗)の貫首であった故 天牛将富師。


とにかく、天牛新一郎さん

天牛将富さんの

情報をランダムに

お知らせします。



前回アップした

情報ですね。

私と同じかつらぎ町生れなんですね。ほんとにビックリ

しました。


1892年(明治25年)、和歌山県伊都郡見好村(現・かつらぎ町で生まれる。


1907年(明治40年)、大阪ミナミの二ツ井戸で露店の古本屋を始め、1915年(大正4年)、日本橋南詰東半丁で天牛書店を開店する。その後、古書店としては他に見られない品ぞろえと確かさで近畿在住の文化人の定評を得て、大阪府古書籍協同組合理事などを歴任し、1972年(昭和47年)に大阪産業功労賞、1974年(昭和49年)には大阪文化賞を受賞する[2]。












1991年(平成3年)6月2日、98歳で死去。





石川県小松市の那谷寺(真言宗)の貫首であった故 天牛将富師。

いろいろ検索したんだけど
なかなか見つけられず


かつて道頓堀にあった古書店「天牛書店」についての一文。「僕は大阪に来て『天牛』に寄ると、やっと大阪にいるという感じがしてくるのである」。かれこれ40年前、永六輔さんは店主の天牛新一郎さんと対談した。


▶「小さいころから本屋になるのが夢でしてね。本屋になったら、本が読めるっていう気がして」という永さんに、天牛さんは「あきまへん。本屋が本読んでたら商売になりまへん」。そして、「一冊や二冊とられたって、店がつぶれるわけやない。けど、つかまえられて、一生が狂ってしまうことがある」と万引を見逃すというのに驚く。


永六輔さんと天牛新一郎さんとの対談