亀井氏は、中学校側の法的責任について「民事上は慰謝料が発生する」とし、「受験する機会を奪った学校側が損害賠償責任を問われる可能性があり、慰謝料の相場は30~50万円」とした。また、生徒のこれまでの塾の費用については「損害賠償は不法行為の発生時以降に発生するものが対象で、出し忘れ前に払ったこれまでの塾代は対象外」、学費の差額については「志望校に確実に入学できたと立証できれば、3カ月分程度の差額は補償される可能性がある」と自身の見解を述べた。




橋下氏は「いきなり法律をボーンと表に出す必要はないとは思うんですが、ただこの事案をみると、柔軟に対応すべきだと思う」とし、その理由について「公平性はまず第一なんですけれども、正当な理由がある場合には例外を認めるべきだというのが法の大原則。今回、正当な理由を見ると、子供たち側の方が直接、願書を出せるような状況であれば、そこの締め切りを忘れたのであれば子供たち側のミスになってしまうんですが、高校側が中学で(願書を)取りまとめてくださいという形態にしている。これは高校の方の利便性というか、生徒個人から受け付けをすると、いろいろ訂正とかあって高校は事務が煩雑になるんです。ですから中学まとめてくださいねというのは、高校の利益のためでもある」と説明。

 「中学がミスしたことが1番悪いんですけれども、そういう願書の形態を高校側がやっておいて生徒側に一切ミスがないのであれば、これを例外を認めるべき」と指摘し、「教育現場でこういう一律の対応をするのであれば、公立高校で各自治体が共同で設置した高校らしいので、ここは首長の出番。入試に直接介入するのはだめですが、願書受け付けのところくらいは首長が例外を認めるということで受け付けをやってほしい。ぜひ考え直してほしい」と自身の考えを述べた。





玉川氏は「一義的な責任は出し忘れた中学校にあるんだと思いますけど、この高校と教育委員会はどうなんだろうと思いますね」と言い、「何のために試験をやるんですかと。その高校に入りたいという人の中で、学力的に見合った人を選抜するということでやるわけでしょ。別に中学校が出し忘れたかどうかって関係ないわけじゃないですか、入試の本旨としては。今回、責められるべきは中学校であって、なんでその不利益を子供たちが負わなければいけないのかということですよ」と指摘。

 「こんな四角四面でやるんだったら、この教育委員会とかこの高校に何かちょっとでも問題があった時には誰も許してくれないと思いますよ。ちょっとしたミスで何か起きたとしても。ミスはしますよ、人間は。ミスはするけれども、それに対して謝って、これからこのようにして2度と起きないようにしますと言えば、許すというのが社会じゃないですか」と言い、「それを当事者でもない人に損害を負わせて、受験を許さないというこの教育委員会と高校には疑問です」と自身の考えを述べた。




風間氏は「もちろん中学校側に問題があったというのは間違いないんですが、高校の方も公平性を盾に“もうダメです”という一点張りというのは、子供たちに対するメッセージとしてどうなのかなと思う。こういうことを通じて子供は学んでいくし成長していくわけじゃないですか。これじゃあ“人任せにしたらダメだぞ”的なメッセージにしか思えない。なんか納得がいかないですよね」と自身の考えを述べた。



山口氏は、自身が経験した米国の大学院などでは、ルールを柔軟に適用していたと言い、「一律にルールを曲げないのが平等という考え方と、それぞれの状況に応じて柔軟にルールを変えてあげるのがフェアだという考え方、両方があり得ると思うんですけれども、平等という考え方に立つことが悪いことでは決してないですが、確かに日本の受験は一律という悪平等があまりに強すぎると私は思っています」と自身の考えを述べた。
(スポニチアネックス)



人それぞれ

いろんな考え方があります。


確かに、特例を認めないと

言う考えで受験を認めないという高校側の意見もわかるけど、


どうにか柔軟な考え方が

ないものなのか?


確かに、締切りに間に合わなかった中学校側が悪いというのは

わかりますが、


生徒側にしわ寄せが

くるのは、おかしいなぁ〜と

思うんだけど……


どうにかしてあげてください。