40年以上にわたり親しまれてきた山形市のスイミングスクールが、3月いっぱいで営業を終えることがわかった。会員数の減少や施設の老朽化が要因とのこと。

営業終了が決まったのは、山形市城西町の「山形ドルフィンクラブ」。
県内最初の民間のスイミングスクールとして1981年に営業を開始し、これまで東京パラリンピックの競泳男子で2種目入賞を果たした
東海林大さんなどを輩出した。

しかし、最盛期に2200人を数えた会員数が、少子化に加え
新型コロナを背景に約800人まで減少した。
また、施設の建設から40年以上が経過し、年間約400万円かかる修繕費も負担となり、事業の清算を判断したという。

会員には3月末での営業終了をすでに通知していて、佐々木賢二社長は「健康の維持のため地域に必要な施設と感じていて、惜しい気持ちがある」と話している。

「べにばな国体」に向けた競技力向上を目指し、山形DCは1981(昭和56)年に営業を開始した。県内の水泳関係者有志11人が独自にプールを造り、施設を運営。県勢初の競泳競技代表として88年ソウル五輪に出場した県水泳連盟会長の武田聡さん(55)、東京パラリンピック競泳男子代表として2種目入賞を果たした東海林大さん(24)らを輩出し
た。

中学1年時から山形DCに通った武田さんは「人格形成の面でも大きな影響を受けた。山形の水泳界をけん引してきた大切なクラブだけに、言葉にならない」と残念がった。県水連会長の立場としては「(会員の)水泳の道が閉ざされることがないように詳細を確認したい」と語った。

 東海林さんは「まさか、という思い。人として人生で大事なことを学び、経験させてもらった」とし「(パラ競泳の)世界選手権での世界記録(当時)樹立や東京パラの代表入りはいつも丁寧に指導してくれたおかげ。残念だけど、世界で戦えるまでに成長させてくれたクラブには感謝の気持ちしかない」とかみしめるように話した。



淋しいでしょうね。

かしまの時もさみし

過ぎました。


私は、オープン時から

いたんじゃないから

まだ、マシだったかも・・・


復活させたいですね。