⑤からつづき

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「それって……」

 藤原正和監督の「進退問題」という言葉を聞き、私は監督が辞める覚悟をしたのかと、慄いた。

2016年の予選会敗退からここまで這い上がって来られたのは、監督がいなければ成し遂げられなかっただろう。藤原監督はうつむき加減で言葉をつぐ。


「狙った大会で、こんな結果しか残せず、学生に申し訳ないです。本当に、申し訳ないです。8年間指導して、土台がしっかりしてきたという手ごたえはあります。ひょっとして、指導陣に新しい風が吹いた方が、優勝に近づけるんじゃないかと思います」


 それ以上の言葉をかけることはできなかった。

これだけの痛みに対して、外部の人間は有効な言葉を持たない。いや、持てない。


1月下旬。

 箱根駅伝から3週間が経った。


 日野市にある中大の合宿所に向かい、藤原監督を取材することになった。卒業を控えた4年生が引っ越しの準備に追われていた。


 私はまず、1月3日に進退問題について言及した後、藤原監督はどんな時間を過ごしたのか聞くことから始めた。


「3日には毎年、4年生の慰労会があります。その場では4年生に頭を下げるしかありませんでした。正直なところ、私自身、疲労困憊という状態でした。ショックでしたね。ターゲットとしてきた第100回箱根駅伝なのに、わずか10日間の出来事で、すべてが崩れてしまったので……」


 1月4日の朝も、早く目覚めてしまった。それでも安堵があったという。

「それまでの10日ほど、ほとんど眠れませんでした。眠りが浅く、朝になると体調不良の連絡が来てるんじゃないかと、不安で仕方ありませんでした。4日の朝になり、『ああ、もう選手たちの体調を気にしなくていいのか。LINEのアプリを開くのに怖がる必要はないんだ』とホッとしました」


 藤原監督にとっての「地獄の10日間」は終わりを告げていた。


それから数日の休みがあったが、とにかく眠りに眠った。「5日、6日は昼近くまで眠り続けました」。すると、少し気力が湧いてきて、「箱根を振り返ってみるか……」と思い立ち、レースの映像を見た。


「青学さん、圧倒的に強かったです。特に2区の黒田朝日君、3区の太田蒼生君のパンチ力は強烈でした。12月、われわれがターゲットとしていたのは駒澤さんで、優勝タイムは10時間43分くらいと想定していましたが、青学さんは10時間41分まで伸ばしてきましたからね。ウチが万全だったら、どれだけ勝負出来たか……それを見たかったという思いに駆られました」


 箱根駅伝を振り返り、中大が万全だったらどんなレース展開になっただろう。藤原監督は想像をめぐらせた。


 1区溜池一太は、飛び出した駿河台大のレマイヤンを駒大の篠原倖太朗、青学大の荒巻朋熙らと一緒に追走する。悪くとも、30秒差でたすきを2区の吉居大和にはつなげただろう。これは青学大の荒巻とほぼ同等であることを意味する。

そして吉居が絶好調であれば、駒大の鈴木芽吹には追いついた可能性がある。きっと、気持ちのリミッターを外せる大和なら、そうしたはずだ。そして3区中野翔太が駒大の佐藤圭汰と牽制し合い、そこに青学大の太田が絡んでくるかもしれない。しかし、中央には4区に湯浅仁がいる。湯浅が青学大と先頭を争っただろう。そして5区は耐える。


「うまく流れていれば、青学さんから1分から1分半ほどで2位というイメージでした」


 復路は追いかける展開になるが、7区の吉居駿恭で先頭が見える位置にまで追い上げられれば、8区の阿部陽樹が首位に立つ――。


「たられば」を言っても仕方がない。それでも、この中央のレース展開だけは見たかった。


⑦へつづく