テレビ番組『◆☆○★◇▽%.博士ちゃん』と云うのがあって

伊勢神宮を参拝していたんだけど、スサノオノミコトが詠んだ日本初の和歌の歌碑があると、

言っていたので、ちょっと調べてみました。



八雲立つ(建速須佐之男命)

やくも立つ いずもやえがき つまごみに

やえがき作る そのやえがきを

建速須佐之男命

■ 訳

幾重にも重なり合った雲が立ち上るこの出雲(雲のいずる)の地。

この地に妻を招き入れるための宮を作ったが、幾重にも重なり合ったこの雲のような垣も作りたいものだ。


■ 解説

やくもは八雲で、八が沢山のという意味を持つため立ち上がる入道雲の様子を、つまごみは妻籠みと書き同居することを、やえがきは八重垣と書き、沢山の垣根を意味します。

スサノオが妻であるクシナダを如何に大切に思っているかが伝わってくるようです。


■ この詩が詠まれた背景

この歌を詠んだとされるスサノオノミコトは、悪竜ヤマタノオロチを退治し、婚約していたクシナダヒメとの新居(宮殿)を建てる場所を探して出雲国(島根県)にやって来ました。

須賀の地までやってきたところで、「吾此地に来て、我が御心すがすがし(ここまでやってきて、私の気分はさわやかだ)」と言い、この地に宮殿を建てたところ、雲が八重に立ち上りました。

それを見たスサノオノミコトがこの歌を読んだといわれています。


イザナギが根の国から戻った際に生まれたアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱の神を三貴子と言いますが、スサノオノミコトは末っ子で、父から海を治めるように託かったのですが、母イザナミに会いたいから根の国に行きたいと駄々をこねた所、父に追放されます。

追放されたスサノオは根の国に行く前に姉の住む高天原に挨拶に行ったところ、攻め入ってきたと勘違いされます。

なんとか誤解を解いた後もスサノオは高天原に居座り、田を荒らし糞便を撒き散らし家畜を殺し、ついには機織りの娘を死なせてしまったため、当初八百万の神々からスサノオを擁護していたアマテラスはついにショックで天岩戸に引きこもってしまいます。

八百万の神々の知恵により、無事アマテラスは岩戸の外へ出てくるのですが、原因となったスサノオは追放されます。


その後クシナダヒメに出会い、ヤマタノオロチを退治したことで、ようやくスサノオにとっての平穏が訪れたわけですので、文字通り清々しい気分になれたのも分かる気がします。


■ 豆知識

この和歌は古事記に記された中でも最も最初に登場しているため、最初の和歌とされています。

そのため、和歌の別名は始めの句を取って『八雲』とも言います。




不可解な言葉が連続する「八雲立つ」


八重垣神社 歌碑


日本で最も古い歌であるだけに、もし、その歌詞の意味が理解できれば、古代の人々の思いに少しでも寄り添うことができるでしょう。しかしながら歴史が古い和歌だけに、その歌詞は難解であり、定説の解釈も果たして作者の意図を汲んでいるか、疑問が残ります。何にもまして、日本語としての不自然な言葉の響きが気になります。


例えば八雲に続き、3回も「八重垣」が繰り返される文脈は一見、短絡的であり、強引な言葉の羅列にも見えます。しかも結果として頭に「ヤ」がつく言葉が4回も連呼されているのです。これほどまでに「ヤ」にこだわるからには、何らかの強い意図が込められていたに違いありません。


また、雲を垣に例えてそれが重なり「八重(ヤエ)」になるという表現も不自然です。雲が実際八段に重なっているように見えたのでしょうか?それとも八色の雲が重なって空に現れたのでしょうか。虹ならば7色が限度です。また、八重ではなく、三重でも良いのではないでしょうか。なぜ、「八重」、「ヤエ」に作者はこだわったのでしょうか。



ヘブライ語で読み解く和歌のことば



須佐神社の美しい拝殿


これらの疑問を解決するための鍵が、ヘブライ語にあることがわかってきました。まず、「八雲立つ」という言葉から検証します。出雲風土記や古事記によると、国引きをした神ヤツカミズが「八雲立つ」と語ったことから、「八雲立つ出雲」と詠まれるようになったと記されています。その言葉の原型は「ヤツメサスイツモ」です。一見、不可解な言葉ですが、ヘブライ語で読むと、元来込められていた意味が浮かびあがってきます。


まず、「ヤツメ」は八の目を意味すると言われています。しかし、ヘブライ語では全く異なる意味となります。まず「ヤ」は、神を指す יה(ya、ヤ)です。その語尾に、「大きくなる」を意味するצומח (tsomeakh、ツォメッ)をつけると、「ヤツメ」と同等の発音になります。するとヘブライ語で「ヤツメ」とは、神が大きくなる、という意味になります。


「ヤツメ」はその後、何故かしら「ヤクモ」という言葉に差し替えられることになります。そして「神が大きくなる」、という意味に類似する表現として、「神が立ち上がる」という意味になるように新たに言葉が選別されたようなのです。そのために用いられたヘブライ語は、「立ち上がる」「起き上がる」を意味するקום(kum、クム)です。神が大きく見えてくるということは、神が立ち上がり、その姿を見せることでもあります。よって、神が立ち上がり、その存在を示すことを言い表すことが目論まれたと想定されます。


そして「ヤツメ」の後には「サス」という言葉が続きます。これはצץ(tzatz、ツァツ)と発音し、「現れる」を意味するヘブライ語です。「ツァツ」の発音は、「サス」「タツ」に類似しています。


これで文脈の流れが見えてきました。「ヤツメサス」の意味はヘブライ語で、神が段々と大きく見え、ついに現れることを意味します。これは正に岩戸の神話に記されているアマテラスのことを指しているのではないでしょうか。つまり、アマテラスが岩から少しずつ出現することを「ヤツメサス」と言い、そして岩間から現れて立ち上がる姿を強調して「ヤツメ」が「ヤクモ」になり、「ヤクモタツ」と歌うようになったと考えられるのです。







ちょっと難しかったけど

出雲大社に行った時に思い出すようにしないとね。


春には行きたいんだけど...