競泳男子の瀬戸大也(24=ANA)が、04年アテネ五輪200メートルバタフライ銀メダルの山本貴司氏(40)から金言を授かる。

瀬戸が2月4日から12日まで大阪の近大で合宿を予定。




同大水泳部は山本貴司氏が監督を務めており、学生らと合同練習を行う見通しであることが22日、分かった。

瀬戸は、山本氏について「バタフライのこと、聞きたいです。いろいろ吸収したい」とうれしそうに話した。昨年12月には短水路世界選手権の同種目で世界新記録を樹立。本職の個人メドレーでは大きな武器となっているバタフライをさらに磨き上げる構え。梅原コーチも「山本さんもいてくれるし、学生たちとも一緒に練習することになるでしょう」と見通しを示した。

山本氏は96年アトランタ五輪から3大会連続で五輪出場。13年からは同大の水泳部監督に就任した。世界トップで争った技術と経験は、瀬戸にとり「生きる教材」といえる。山本氏から直接アドバイスを受けられれば、まさに鬼に金棒だ。

瀬戸は今年の大目標に世界選手権(7月、韓国)での金メダル=20年東京五輪内定を掲げている。貪欲に新しい知識を吸収して、プレ五輪イヤーに向かう。

(ネット引用)

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もう山本じゃないでしょ。

近大だってそんなに強くない。


水泳界のレジェンド?


世界の "瀬戸大也" ですよ。



なら、大先輩(長沢二郎氏)の墓参りでも・・・



長沢 二郎(ながさわ じろう, 1932年(昭和7年)2月2日 - 2010年(平成22年)3月23日)は、日本競泳選手。


編集

静岡県沼津市出身。静岡県立沼津東高等学校から早稲田大学高等学院に編入し、早稲田大学卒業。早大では水泳部に所属した。

早大在学中の1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、200メートル平泳ぎで6位[1]1954年5月にバタフライが平泳ぎから分離する形で考案され、同年6月に長沢が「ドルフィンキック」を発明、当時の200メートルバタフライの世界新記録を更新した。同年には第4回日本スポーツ賞を受賞。引退後の1964年には、第18回夏季オリンピック東京大会において競泳日本代表のコーチを務めた。1993年国際水泳殿堂入り[1]

2010年3月23日食道癌のため死去[1]。78歳没。

(ネット引用)