秘めた潜在能力の、突然の覚醒。
“世界で最も速い男”となった20歳は、
自身の置かれた立場に臆することなく貪欲に更なる高みを目指していた。
Number927号(2017年5月18日発売)の記事を全文公開します。





 ポテンシャルが爆発したのは今年1月の東京都選手権だった。スタンドの観客もまばらな東京辰巳国際水泳場で行われた小さな大会。男子200m平泳ぎの世界新記録はそこで生まれた。他の選手より2かきほども少なく50mを折り返す渡辺は圧勝でゴールした瞬間、電光掲示板が映し出した2分6秒67という数字に一瞬呆気にとられ、一拍おいて雄叫びを上げた。

「タッチして掲示板を見た時、僕が一番驚きました。世界新記録なんて頭の片隅にもなかったので。水泳は基本的にベストが出るのは夏場。大きな大会もない1月は難しい時期のレースで、選手のコンディションも良くないのですが、僕は筋量が少ないのであまり調子に左右されない。それも記録が出た一因なのかなと思います」

 プロ野球で言えば、オープン戦に登板した投手がいきなり世界最速170kmを投げてしまったようなものかもしれない。

スイッチの入っていない時、入った時の落差。

「(記録を)狙って出したのではなく出てしまったことは結構あります。自分の力を全然、把握できていない。(早稲田大水泳部総監督の)奥野さんにも言われるんです。『スイッチが入っていない時のお前は何がしたいのかわからない。でも、入った時は誰も勝てないし、手がつけられない』って」

 あふれ出る可能性を他人はもちろん、本人ですら制御できない。それが予測不可能な渡辺の魅力になっている。

 ただ、1つだけはっきりしていることがある。渡辺の「スイッチ」を入れたのは真夏のリオ五輪だった。当時の立場はギリギリで代表に滑り込んだ男子競泳陣最年少の19歳。背負うもののない若者は、準決勝で五輪記録の2分7秒22を出してしまった。レースを終えた深夜0時、選手村に帰るバスで早大の先輩・坂井聖人に言われた。

「お前、金(メダル)いけるじゃん」

 同部屋で、400m個人メドレーで金メダルに輝いていた萩野公介にも言われた。

「お前も金取って、一緒に金メダル部屋を作ろうぜ」

「目をつぶると金メダルがぶら下がっていた」

 ベッドに入ったのは深夜2時。携帯電話を手に取ると、地球の裏側から200を超えるメッセージが届いていた。

「まさか出るとは思っていないタイムでした。今まで決勝ラインぎりぎりにいた選手がいきなり優勝候補に躍り出ちゃった感じで……。その日の夜は、目をつぶると金がぶら下がっているというイメージでした」

 無名の若者は一夜のうちに主役になっていた。そして決勝。8人の中で最後に名前を呼ばれ、「センター」と呼ばれる4レーンに登場した。重圧はなかった。スタンドにいる両親や親戚の顔まで見えた。驚くほど冷静だった。しかし、ここで渡辺に宿っているはずの可能性は首を引っ込めてしまう。スタートから出遅れ、6位に終わった。

メダリストの方はこちらです。それ以外の方は……。

 シンデレラになれなかった渡辺は帰国した成田空港でオリンピックの正体を知る。

「メダリストの方はこちらです。メダリスト以外の方はここで解散になります」

 今まで同じ水を泳ぎ、同じ部屋で暮らしていた者同士が明確に線引きされる。大学の寮に戻り、時差ボケのまなこをこすりながらつけたテレビにはさっきまで一緒にいた萩野や坂井が映っていた。勝つか、負けるか。自分が生きる世界の現実だった。

「リオのレースは全員が接戦だったんですが、僕以外の7人は僕よりずっと前から『絶対優勝する』と思って練習してきたと思うんですよ。僕はそういう部分で負けていた」

 そこから渡辺は以前よりも自分の可能性を信じるようになった。

「2番でいいと思っている自分が恥ずかしくなったというか。リオの後は『絶対負けない。絶対に世界新記録を出してやる』と思って練習していたんです」

 自分を変えるためにスローガンを掲げた。

「常勝」――。どんな大会でも勝つ。常に勝つ。いつまた、あの舞台が訪れてもいいように……。だから、東京の片隅で行われた小さな大会で世界最速タイムが出たのだ。

幼い渡辺の心を掴んだ、五輪の“ヒーロー”。

 水に生きると決めたのは7歳の時だった。2004年8月16日、深夜2時。当時、小学2年生だった渡辺少年は大分県津久見市の自宅でテレビにかじりついていた。アテネ五輪、男子100m平泳ぎ決勝。映し出されていたのは男も女も老いも若きも、あらゆる人の期待を背負う男だった。

 北島康介。

「ちょうど僕が水泳を始めようかなと思っていた時でした。誰からも応援され、誰からも勝つと思われ、それを現実にしてしまう。あの時の北島さんへの憧れが大きすぎて(世界新記録を出した)今も追いつけたなんて微塵も感じないんです」

 メダルの色でも、タイムでもない。多くの人の願いを背負い切り、アテネの夜に雄叫びをあげた姿が全身を貫いた。

 あれから13年。少年は「世界記録保持者」となった。ただ、その種の看板は時としてアスリートを押し潰す。厳然たる数字が生身の人間の揺れなどお構いなしに独り歩きするからだ。じつは同行した編集部員とともに勝手に20歳の身を案じていた。だが、実際に会った渡辺はどこまでも軽やかだった。

世界新記録よりも、世界で1位の方がすごい。

「僕自身、あれが人生最高のレースと思ってしまったら記録が重圧になってしまうかもしれないですけど、実はあの時100mの浮き上がりに電光掲示板で自分のタイムを見ちゃったんです。普通ありえないことです。ベンチプレスも一般男性並みだし、スクワットもマネージャーの方が上がるくらい(笑)。筋量を増やすだけでもスタートもターンも速くなる。改善点がいっぱいありすぎて燃え尽きていられないんです」

 なぜリオで負けたのか。なぜ世界新記録を出せたのか。未だにはっきりとはわからない。確信しては揺らぐ。事実、世界記録後の4月、日本選手権では2位に甘んじた。ただ、未完であるがゆえに世界最速タイムすら通過点として前に進んでいける。そして何より7歳の夏、あの日から変わらず追い求めるものがある。

「狙った大会で狙った結果を出す。そこが僕に欠けているところだと思うんです。世界新記録よりも、世界で1位の方がすごい。だから(7月の)世界水泳で記録を更新して優勝するというのが今の目標なんです」

 その達観と信念が東京までの3年間を明るく照らす。中年2人の杞憂はいつの間にか、どこかに吹き飛んでいた。

「君の名は。」に涙が止まらない純情さが推進力。

 そういえば渡辺はリオから戻った後、ショックを受けたことがあったという。

「友達に僕だけ『老けたね』と言われるんですよ。あんまり嬉しくないですよね……」

 クールに自分を客観視する姿は確かに年齢に見合わない成熟を感じさせる。

 そうかと思えば、水から上がった渡辺は映画「君の名は。」に涙が止まらない。

「手にお互いの名前を書く場面があって、後で開くと『好きだ』って書いてある。あれ、めっちゃ深くないですか?」

 時間や空間を超える世界に没入し、真っすぐな愛のメッセージに涙できる。

 勝者には大人と子供が同居する。「老けた」という友人の言葉に落胆している渡辺に言ってあげたい気持ちになった。

 何年生きたって味わえない重圧と苦悩が刻むシワは勝負を決める刃になるはず。胸に抱き続ける純情はハードルだらけの道を進む推進力になるはず。だからアスリートが見せる表情はとてつもなく老獪で、どこまでも純粋なのだろう。あの日の北島がそうだったように。

 ここから3年。渡辺の表情はどう変わるだろうか。自らの世界記録をどこまで超えていくだろうか。それは彼に宿る可能性と同じように、計り知れないのである。

(Number927号『東京へ。渡辺一平「燃え尽きてなんていられないんです」』より)


♡ ♧ ♡ ♧ ♡ ♧ ♡ ♧ ♡ ♧ ♡ ♧ ♡ ♧ ♡

東京に向かって、

これからが楽しみですよね。



☆口みたいに、ならなければいいけど・・・