■1964年東京大会






 大松博文監督が率いた実業団女子チーム、日紡貝塚は1961年から64年まで国内外で157連勝を続け、「東洋の魔女」と呼ばれた。不敗神話を継続中の日紡貝塚が主体の全日本に、金メダルの期待はかかった。

 監督は、外国選手との体格差を補う秘策として、回転レシーブを編み出した。練習は午後4時の終業と同時に始まり、連日11、12時まで続いた。硬い床を転げ回る選手は傷だらけ。最後は座布団を腰や肩に巻き付けた。「おれについてこい」と言って猛練習を課す監督を、選手は陰で「鬼の大松」と呼んだ。

 10月23日の決勝。日本は、力で攻めるソ連に回転レシーブで応戦した。2セットを先取し、第3セットも13-6。「あと2点」になった途端、リズムが狂い凡ミスが続いた。追い上げられる日本に日本中がかたずをのみ、テレビ視聴率は66.8%を記録。6度目のマッチポイントを相手のオーバーネットで拾った瞬間、選手は泣き崩れた。その傍らで“鬼”の目にも涙が光った。

(ネット引用)

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東洋の魔女ですよ。




鬼の大松ですよ。




最後は、オーバーネットで優勝でした。



よ~~く、覚えてますよ。