「一人も解雇するな、一円も給料を下げるな」
目先のことばかりを追っていてはいけない


昭和の大経営者である松下幸之助。彼の言葉は時代を超えた普遍性と説得力を持っている。しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、「経営の神様」は遠い存在になっているのではないだろうか。松下幸之助が、23年にわたって側近として仕えた江口克彦氏に口伝したリーダーシップの奥義と、そのストーリーを味わって欲しい。(編集部)



社員を大事にするという、松下幸之助の原点を推測できるような話をしてくれたことがある。

「きみ、社員は大事にせんとあかんよ。わしが、店を始めたころや。そのころは、店自体も小さいながら、それでも、次第に発展しておったから、人を採らんといかんわな。それで募集すると。けど、誰も来ぃへんわけや、早い話。ところが、時折、応募して来てくれる者がいる。こっちはな、とにかく人が欲しいから、まあ、誰でもいいというわけやないけど、そこそこであれば、決めるんや。明日から、来なさいと言う。ところが、そう言って本当に明日から来てくれるかどうか、心配になる。翌朝、その子が来てくれるか、表の道に出て、角のところで、そっと覗いていて、遠くから歩いてくる彼の姿を見つけると、嬉しかったな。よう来てくれた。すぐに店に戻って、待つんや。そんな状態やったな。だから、その子を育てんといかん、立派な人に育てんといかん、と心のなかで誓っておったもんや」

この話を聞いたとき、松下の、社員を大事にする原点がここにあるのではないかと思った。

いいときもあるし、悪いときもある

昭和52(1977)年1月頃だったと思う。ある評論家の質問に身を乗り出して、にこやかに答えている。

「経営を進めていくと、いいときもあるし、悪いときもある。いいときには、それは、問題はありませんがね。悪いときには、会社を縮小せんといかんという場合も出て来ますわね。だから、縮小することは、決して悪いことではありません。縮小しなければ、その会社は潰れますからな。ただ、縮小するから、人が余るに決まってます。しかし、それを、簡単に余った人の首を切るということでは、経営者としては失格ですわ。その余った人を、どう活用するか。どう使うかということを、経営者は考えんといけない。これは、当然のことです。

そう、その余った人たちを使って、新しい事業を考え出す。常に、経営者は、いざというときの新しい事業展開の考えを持っておるということが大事ですね。

余ったら、首を切る。赤字になったら、社員の首を切る。そういう経営者は経営者たる資格はありませんわ。そういうことをしていると、会社は大きくなりませんね。大事な社員を、経営者が工夫もせず、新しい仕事の分野、事業も考え出すこともしないんですからね、失格と言われても仕方ないと思いますな。私は、そういう考え方で仕事をやってきましたね。社員は宝です、私にとっては。そんな宝を、捨てることは、ようしませんでしたよ」



次の話は、あまりにも有名である。後藤清一の『叱り叱られの記』から引用する《部分略》。

“おっ!皆よう聞けよ。大将は泣いてはったで。よう聞けよッ”。昭和4年12月のことである。師走の風は松下にも冷たかった。同年7月の浜口内閣苦心のデフレ政策が裏目に出るに及んで、事情は一変した。月商10万円の売り上げは、半分に急減。倉庫満杯。製品はどんどん累積する。あの街この街に失業者が溢れ出る。物価暴落、倒産続出。松下の従業員も、解雇の不安で浮足立った。密かに、整理すべき人の名前をメモし始めていた。

窮状打開に、井植氏は、ついに折から西宮で静養中の大将の枕元に走った。

“松下始まって以来のこの窮状を打開する道は、ひとまず従業員を半減し、生産を半減するほかありません”

大将は病床で腕を組む。長い間、黙思し、しばし落涙されたという。そして口を開かれた。

「一人といえども辞めさせたらあかん」

“なあ、ワシはこう思うんや。企業の都合で解雇したり採ったりでは、社員は働きながら不安を覚える。松下という会社は、ええときはどんどん人を採用して、スワッというとき、社員を整理してしまうのか。大をなそうという松下としては、それは耐えられんことや。曇る日照る日や。一人といえども辞めさせたらあかん。ええか、一人も解雇したらあかん!”

そして、沈着な指示が飛ぶ。工場は半日操業。従業員も半日勤務。生産半減。ただし、社員の給与は全額支給すること。ビタ一文削ることはあいならぬ。一方、店員は休日を返上して販売に回る。工場幹部も、昼からは販売に回る。

井植氏は小躍りする。異論のあろうはずがない。時を移さず、大将の意は全社に伝えられる。ウォーッ。歓呼。嗚咽しながらの歓呼。大将、よう言うてくれはりました。売りまっせ、やりまっせ。こみあげる感動に、皆突き動かさた。

翌日から、井植氏を先頭に、店員、工場幹部は、勇躍不況の街に散る。何としても売る。熱意、火の玉と化して、世間の沈滞した空気をよそに、松下に恐ろしいほどの気迫がみなぎった。わずか2カ月で、あれほどの在庫が、きれいさっぱりと空になった。社員一人ひとりの顔に、未曽有の不況を突破していく歓喜さえうかがえた。やがて、半日操業中止。全社を挙げて殺到する注文の消化に追われるようになった。(引用ここまで)



松下幸之助の、人を大事にする思いは、生涯、変わることはなかった。

(ネット引用)






こんな松下でしたが、いつかわすれましたが人員を削減したんです。




断腸の思いだったんでしょうね。




顧客満足ばかりを気にして、




従業員満足(モチベーション)を上げない、




どこかの団体と大違い。



従業員満足度を上げれば、



少々しんどくても、頑張って働くんですよ。