いろは文字鋂 その21-廃都二詠
『いろは文字鋂』の著者 江尻成泰さんから新作が届きましたので、ご紹介します。
【その21】では、柿本人麻呂の廃都を詠んだ歌二首からいろは文字鋂が生まれています。
新作の前に「いろは文字鋂」の簡単な説明を記しておきます。
ルールはシンプル。
同音でつないだ尾音と頭音をたどっていくと「いろは歌」になるというもともとの「文字鋂」の約束事を踏襲すること。
文語体(旧仮名遣い)であること。
できる限り定型を守ること。
一度使った句はつかわないこと。
い ろ は 文 字 鋂 (その二十― 廃都二詠)
いろはにほへと ちりぬるを 色は匂へど 散りぬるを
わかよたれそ つねならむ 我が世誰ぞ 常ならむ
うゐのおくやま けふこえて 有為の奥山 今日越えて
あさきゆめみし ゑひもせす 浅き夢見じ 酔ひもせず
(ん)
一 近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本朝臣人麿の作る歌
玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の
いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和を置きて あをによし
奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 夷にはあれど 石走る 淡海の
国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は
此処と聞けども 大殿は 此処と言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の
霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも(巻一―二九)
厳しき所 楼始まるは
晴れの畝火に 和魂の顔
秀つ橿原へ 碧天の如
豊の国の地 地は大和なり
綸命発しぬ 幣向き反る
累代在るを 遠方に神酒
和の奈良山か かの山越えよ
よき京また 玉波もあれ
漣楽浪そ その宮大津
続く浪の音 音をば忘るな
など宮柱 落日に染む
空無継承 うつろ不正のいい
空し景勝 移ろふ世の威
偉器天皇の 法は絶えおお
生ひ草繁く 暮れ行く春や
破れ垣の様 麿は心泣け
二 春の日に、三香の原の荒れたる墟を悲しび傷みて作る歌一首
三香の原 久邇の都は 山高く 川の瀬清し 住みよしと 人は言へども 在りよしと われは思へど 古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり 愛しけやし 斯くありけるか 三諸つく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく 百鳥の声なつかしく 在りが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも(巻六 の一〇五九)
今日まで称ふ 古りにし京
ここ川瀬冴え 枝葉戦ぎて
照る夕日ああ あの鹿背山さ
さこそ住みよき 清き久邇消ゆ
行く春惜しめ 愛づる里を見
三香の原憂し 四方寂しゑ
笑む花に酔ひ 日日鳴く鳥も
物を偲はせ 寂寞醸す
すべてはこれ无 ……
(平成三十年六月十四日)
註
近江大津宮=滋賀県大津市。天智六年(六六七)大和から遷都。天智、弘文二代の都。天武元年(六七二)壬申の乱に 天智方は敗れ、都は飛鳥に還り、荒廃。今、大津市錦織に調査発掘された遺跡が点在している。本歌で人麻呂が「いかさまに 思ほしめせか(どのようにお思いになったからか)」と言っているが、天智天皇のこの遷都は民衆には不人気だったのか、日本書紀天智六年条に、「…都を近江に遷す。是の時に、天下の百姓(一般人民)、都遷すことを願はずして、諷へ諫く(それとなく指して思うままのことを勝手に言う)者多し。…」とある。
久邇宮=京都府木津川市加茂町。続日本紀では恭仁宮。天平十二年(七四〇)十二月、聖武天皇は平城京(奈良)からこの地に遷都。木津川(泉川)が東西に流れている。(百人一首の「みかの原 わきて流るる いづみ川…」の泉川)。しかし、天皇はわずか三年余り後の十六年、恭仁、難波のいずれが良いかと官人、市人に問い、官人は小差ながら、市人は圧倒的に恭仁を支持したが、二月「難波宮を皇都とす」の勅が出され、恭仁はこの歌を持つ運命となった。(翌年紫香楽宮(滋賀県甲賀市)、さらに平城京へと、この頃聖武はめまぐるしく宮を変えた。)恭仁宮跡は木津川の北、恭仁小学校の隣、鹿背山は川を隔てて南西にある。
【本歌一】柿本人麻呂、万葉集初登場の歌。天智の旧都近江大津宮を詠んだ。廃都を目の前にし、自然の不変と人の業の果敢無さを歌う。枕詞をリズムよく駆使しているところ、技巧にも長けた人麻呂の真骨頂。神話や歴史を織り交ぜ重厚荘重な歌風を築く。
玉襷=「たすき」の美称。うなじに掛けるので「うね」「うな」にかかる枕詞。
橿原=奈良県橿原市。第一代神武天皇の即位の地とされる。畝傍山の南東すぐのところが橿原宮の旧址とされ、橿原神宮がある。(「…観れば、畝傍山の東南の橿原の地は、蓋し国の墺区(中心地)か。治るべし」とのたまふ。日本書紀神武天皇即位前紀)
橿原の 日知の御代ゆ=日知は日を領治するの意で天皇。ゆはよりに同じ。神武天皇の代から、の意味。
樛の木の いやつぎつぎに=(樛の木のように)次々に。「樛の木の」は類音によってつぎにかかる枕詞。
天にみつ 大和を置きて=大和を捨てて。「天にみつ」は大和の枕詞。「そらみつ」が一般的であったが人麻呂はにをいれて五音で音調を整えた。(「そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ…」巻一の一)
奈良山=奈良市北方の丘陵。
石走る=枕詞。水が岩の上を激しく流れることから、滝、垂水、また近江にかかる。
楽浪=琵琶湖西南岸地方の古名。のをつけて大津、志賀、比良などの枕詞。神楽のはやし言葉ささから神楽をささと読み、楽浪は神楽浪の一文字略の表記だそうだ。
ももしきの=枕詞。多くの石や木で造った意で、大宮にかかる。
【文字鋂の歌】
初句「厳しき所」から八句「地は大和なり」までは橿原の地に都がおかれたこと。
九句「綸命発しぬ」から「その宮大津」までは歴代天皇の皇都があった大和から大津へ天智天皇が都を遷したこと。
次の「続く浪の音」から最後は廃れた都の姿と人麻呂の感慨。
厳しき所=いかめしい、おごそかな所。
楼始まるは=楼は楼閣、高殿で、宮殿が出来て神武天皇の世が始まったことを指す。
和魂=柔和な神霊、霊魂、和御魂。対は荒御魂。最初の天皇を温和とした。
秀つ橿原へ=秀はひいでているもの、ぬきんでているもの。素晴らしい土地橿原へ。
綸命=天子の命令。綸言。
幣向き反る=天皇の遷都の命により、神に祈り捧げる幣は新都の方に向いた。
累代在るを=神武以来歴代大和に宮があったのに。本歌の「いやつぎつぎに」に対応。
(参考)宮の場所はほとんどが大和(奈良県内)であったが、大和以外の地では古事記によれば十三代成務天皇の宮は近つ淡海(滋賀県)の志賀の高穴穂宮であり、次の仲哀天皇は筑紫訶志比宮(福岡県香椎)、仁徳天皇は難波高津宮、下って天智の二代前孝徳天皇も難波長柄豊碕に遷都した。
遠方に神酒=はるか遠い鄙に神酒を供える。「幣向き反る」と同じく実景というより象徴的に述べたもの。
玉波もあれ=波の美称を使ってみた。もちろん琵琶湖の波。
漣楽浪そ その宮大津=漣は訓読みでさざなみ(古くは清音)。この一行には言葉遊びの気配あり。
など宮柱 落日に染む=王宮の衰微。「など」は、なにゆえ、なぜ。
偉器=すぐれた器量(の人物)。
破れ垣の様=宮殿の周りの立派な垣の荒れ果てた様子。
麿は心泣け=「心泣く」は心の中で自然と泣けてくる。うらは心の意。おもてに対してうらは見えないから、心をいう。「うら悲しい」「うら寂しい」「うらぶれる」など。ここは命令形ではなく、現代語の「泣ける」にあたる下二段活用の連用形。「心のなかに自然と泣けてきて…。」 麿は人麻呂が自分を指して「われ」「わたくし」。
【本歌二】人麻呂ではない。田辺福麿の歌集から。田辺福麿は巻十八冒頭に越中守家持の館で詠んだ歌が十三首ある。あとは彼の歌集から三十一首採られている。この本歌はその一つ。対句を流れるように使って技巧派宮廷歌人の歌いぶり。この直前には「久邇の新しき京を讃むる歌」が載っている。
山高く 川の瀬清し=鹿背山と泉川。
愛しけやし=ああ、あわれ、いとおしい。
三諸つく 鹿背山の際に=三諸は神が宿る場所、また、神を祀る神座。「みむろ」とも言う。神座である鹿背山の間に。
色めづらしく=「めづらし」はすばらしい、好ましい。「愛づ」(愛する、賞美する、心がひかれる)から。
百鳥の 声なつかしく=多くの鳥の声も慕わしい。
在りが欲し=そこにいたい。見が欲しは見たい、見ていたい。
【文字鋂の歌】
四方寂しゑ=「さぶし」は「さびし」の古形。これまであった生気や活気が失われて、ひっそりしている。ゑも上代語で感動、詠嘆を表す。寂しくてため息をついている様子。
「山の端に あぢ群騒き 行くなれど われはさぶしゑ 君にしあらねば」(巻四の四八六)というのがあった。
(平成三十年六月二十一日)
後 記
「その十九」で人麻呂に触れ、その続編としては近江大津宮の歌は、人麻呂の最初の歌であるから、是非ともと思っていた。問題は、その他の歌をどれにしようか。数首選んで作り出してみたがどうもしっくりこない。なかなか手にならない。
思いあぐねていたところ、三香の原の歌に思い当たった。よし、これだ、これを大津の歌と並べよう、廃都を詠む両者、これでよかろうと決めた次第。万葉集の中で燦然と並び立つ秀歌二首、というわけではないだろうが…。
人麻呂の近江京を偲ぶ歌としては「淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ」(巻三の二六六)も忘れられないが、かつて「その十二」でこの歌をイメージして作った。
(付)本歌二首にはそれぞれ反歌がある。次の通り。
ささなみの 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ(巻一の三〇)
ささなみの 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも(巻一の三一)
三香の原 久邇の京は 荒れにけり 大宮人の 移ろひぬれば(巻六の一〇六〇)
咲く花の 色はかはらず ももしきの 大宮人ぞ 立ち易りける(巻六の一〇六一)
(平成三十年六月二十一日)
学術誌『翰苑』
人文学・人権教育に関する研究・調査を行うことを目的として2013年4月に設立された近大姫路大学「人文学・人権教育研究所」が発行する学術雑誌が第5号を数えました。
巻頭エッセイ 大学はどこへ行くのか/綱澤満昭
【特集】司会/松下正和
身近な文化財を災害と日常の滅失から守るために/内田俊秀/吉原大志/藤木 透/竹本敬市/多仁照廣
【論考】
中学校社会科「近世身分」学習の改善の視点 ―日本文教出版(歴史的分野)の分析を中心として/和田幸司
日本における外国人支援制度と子ども/松島 京
社会的養護に関する制度改革の動向と背景/松浦 崇
村上一郎に少しふれて/綱澤満昭
「赤とんぼ」の解釈と表現法をめぐって
— 三木露風と山田耕筰の「赤とんぼ忌」に寄せて/和田典子
これからの小学校における英語教育/岸本映子
創刊号から5号まではこちらをご覧ください。
学術誌『翰苑』はこれからも播磨から「文学」「思想」「歴史」の各分野における研究成果を発信し続けます。
ちなみに「翰苑」とは文人・学者が集うところという意味です。



