ダライ・ラマ訪米前に成立した「チベット中国紛争解決推進法」

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(88歳)が6月23日、アメリカ・ニューヨークを訪れた。ダライ・ラマの訪米は2017年以来7年ぶりとなるが、今回はひざの治療を受けるためだという。

これを前に、米議会下院では6月12日、「チベット中国紛争解決推進法」“Promoting a Resolution to the Tibet-China Dispute Act”という法律が、賛成391票、反対26票で成立している。法案はジェフ・マークリー上院議員がことし2月26日に発議し、上院では5月23日、全会一致で可決され、下院に送られていたもので、現在、バイデン大統領の署名をまって実施に移される運びとなっている。

この法律の趣旨は、

▼「チベットは古代から中国の一部であった」という中国の主張・立場を米国は容認したことはない(The United States Government has never taken the position that Tibet was a part of China since ancient times.)ということを明確にしたことであり、

▼チベット人は、他と異なる独自の宗教的、文化的、言語的、歴史的な明確なアイデンティティを持つ民族である。(The Tibetan people are a people with a distinct religious, cultural, linguistic and historical identity.)

▼中華人民共和国は、チベットの歴史、チベットの人々、チベットの制度、そしてダライ·ラマに関する虚偽の情報の流布を停止すべきだ。(the People’s Republic of China should cease its propagation of disinformation about the history of Tibet, the Tibetan people, and Tibetan institutions, including that of the Dalai Lama)

▼中華人民共和国に対し、市民的及び政治的権利に関する国際規約及び経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約に基づく全ての義務を順守するよう促す。( to encourage the People’s Republic of China to uphold all its obligations under the International Covenant on Civil and Political Rights and the International Covenant on Economic, Social, and Cultural Rights.)

▼中共政府とダライ·ラマ、あるいはそれぞれの代表者、またはチベット社会で民主的に選出された指導者との間で、前提条件のない実質的な対話を促進するか、またはチベットに関して交渉し合意できる対話に向けてその進展を図るための活動を探ること。(to promote substantive dialogue without pre-conditions, between the Government of the People’s Republic of China and the Dalai Lama, his or her representatives, or democratically elected leaders of the Tibetan community, or explore activities to improve prospects for dialogue, that leads to a negotiated agreement on Tibet.)

などとした努力目標を国務省に与え、そのための予算確保を明示したことである。

 

「チベットは古来より中国の一部」という歴史的事実はなかった

「チベット中国紛争解決推進法」では、「チベットは古代から中国の一部であった」という中国の主張・立場」は受け入れられないとすると同時に、古来より「チベット」という地域は、青海省の全域、および内モンゴル自治区、甘粛省、四川省、雲南省の一部を含めた地域であるとも定義している。それは中国や台湾の歴史学者が歴代の版図を示すために作った「歴史地図」をみるだけでも明らかだ。

チベット、漢字では「吐蕃」と呼ばれた民族が歴史の舞台に登場するのは紀元7世紀以降とされる。そのチベットの勢力範囲は、周辺のウイグルやモンゴル民族を抱き込んだり、抱き込まれたりして拡大と消長を繰り返してきた。唐代には、チベットの軍が唐の都・長安に攻め込み一時占領する場面もあった。元や清という異民族が中国を統治した時代には、それぞれの王朝はチベット仏教を帰依の対象とし、ダライ・ラマやパンチェン・ラマといった宗教的権威を保護する施主あるいは大旦那の役割を背負った。つまり宗教と政治が混然一体となっていたチベットでは、隣りあう王朝との関係で、どちらが支配し、どちらが従属していたか、といった概念は曖昧で、どうでも良かったのである。ダライ・ラマ13世がチベットの独立を宣言したのは辛亥革命で清朝が倒れた2年後、1913年のことだった。毛沢東による中国共産党が強権でチベットを支配したのは、新中国建国の翌年1950年10月に人民解放軍がチベットに侵攻した以降のことであり、つまりそれまではチベットは独立した王国であり、中国が主張するような「チベットは古来より中国の一部だった」という歴史的事実はなかったのである。

何も報道しない日本のマスコミ 中国には何もできない日本の国会

そうした理解が、米議会のマジョリティ(多数派)として定着していることを今回の「チベット中国紛争解決推進法」の成立は示している。しかし、それにしても、この法律の成立について報じた日本の大手メディアは皆無だった。ネットの検索では、米国内メディアのほかは、香港のサウスチャイナ・モーニングポストと韓国の中央日報が報じている以下の記事が引っかかる程度で、日本のマスメディアの関連記事は何もヒットしなかった。

SCMP 6/12 US lawmakers pass Tibet policy bill that questions China’s claims over region

中央日報日本語版6/13「チベットは中国の領土ではない」法案米議会通過…中国「内政干渉」

またYoutube番組では『文化人放送局』が6月14日に「アメリカで“チベット中国紛争法”成立/全く報じないマスコミ/媚中はびこる日本の国会との差」として、米議会で成立した法律の中身を詳しく解説する一方、まったく報道しない日本のマスコミの姿勢に疑問と非難の声を寄せている。

それにしても、日本のマスコミの姿勢も問題だが、こうした中国に対する決然とした態度の表明が、米議会でできて、日本の国会でできない理由とは、いったい何なのだろうか?

3年前のブログ<「対中非難決議」不採択、世界史的流れに逆らう日本の国会」2021/6/26>でも書いたが、2021年6月、国会で「中国のウイグル、チベット、南モンゴル、香港等での人権侵害を非難する国会決議」を採択しようという動きがあったが、公明党の反対で採択が見送られ、あまつさえ決議文から「中国」という文言が消されるということがあった。宗教の自由、信教の自由の大切さをもっとも主張すべき公明党が、イスラム教や仏教、キリスト教を弾圧し、「宗教の中国化」という反人類的な政策を唱える中国共産党にもっとも迎合し、その中国の宗教政策にまったく異議を唱えない異常さこそをまず糾弾すべきだと思う。

                (1950年 チベットに侵攻する人民解放軍兵士)

 

チベットの将来問題を世界は注目!と中国に知らせる必要がある

中国によるチベット侵攻以来、70年以上も続くチベット問題は、今や目の前の現実として当たり前すぎて誰も深い関心を示さなくなっているが、問題の本質は、今のロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ地区攻撃とどこも変わらない領土の侵略であり、民族や文化、宗教、言語を消滅させるジェノサイドと同じ性格なのである。

チベット亡命政府と中国当局による正式な接触、対話は2010年以降、途絶えているということだが、米国政府と議会は、それ以前から、また現在に至るまで一貫して、北京とダライ・ラマ、亡命政府による前提条件なしの対話を促してきた。しかし、サウスチャイナ・モーニングポストの前述の記事によると、ことし4月、中国外務省は、チベット側とのいかなる接触や会談も、チベットの自治の問題ではなく、ダライ・ラマの「個人的な将来」、あるいはせいぜい側近の将来に関することしか話題にならないと述べている。つまり、チベットの将来問題に関して真剣な対話に応じるつもりはないという姿勢を見せつけている。

ことし88歳となったダライ・ラマ14世に、もしものことがあったら、人々の信仰の対象であり大切な心の拠り所であるチベット仏教の次の精神的指導者をめぐって、中国共産党政権がその血で穢れた手を無理やり突っ込んできて、後継者をかってに決定するという乱暴狼藉を働くことは目に見えている。そうさせないためにもチベットの将来に関する話し合い、対話を中国に根気強く促し、国際社会も一致してその行方を注目し、世界の人々がみな大きな関心を寄せているということを中国側に見せつける必要がある。そのために日本のマスコミと日本の国会は何をしてくれるのか、そんな期待は所詮、無い物ねだりなのか。

    (1959年3月 ダライ・ラマ14世を守るためにポタラ宮前に集結した民衆)