深夜未明4時間にわたる肉弾戦とがなり合い

ことし9月11日、日曜日の深夜、しかも家族が集まる一年で最も大切な中秋節の連休のさなか、ソウル鐘路(チョンノ)区の旧日本大使館前、慰安婦少女像が置かれている道路は、時ならぬ喧噪に包まれた。

少女像を守って傍に張り付き24時間見張りをしている左派系の学生団体と少女像の撤去を要求する保守系の市民団体が、警備の警官隊を挟んで激しい肉弾戦と罵(ののし)り合いの攻防を、夜の10時から翌未明にかけて4時間半にわたって繰り広げたのである。

「少女像を守る」と称して、像のすぐ脇のボックスの中でメンバー1人が24時間交替で張り付いているのは学生を中心にした、その名も「反日行動」という団体で、彼らはこの活動を「徹夜籠城」と称している。

この日は、保守系の市民団体「新自由連帯」が、「反日行動」のメンバーが交代する夜10時の時間帯を狙って少女像の傍らで集会を開催するという奇襲作戦を計画し、事前に所轄の鐘路警察署に届け出を出し、許可を得ていた。

しかし、「新自由連帯」のメンバーがその日の夜9時40分、現場に到着すると、旧日本大使館前で警備のために配置された警官隊は、集会の届け出があるかどうかを警察署の担当者に確認するという理由で、「新自由連帯」のメンバーが少女像に近づくのを隊列を組んで阻止した。

警官隊は担当者と連絡が取れないとして、その後も40分余りにわたって集会の開催を阻止し、その間に、当初はたった1人だった「反日行動」のメンバーは仲間に連絡し、警官隊が集会を阻止してから15分後には別の仲間の1人が駆けつけるなど、続々とメンバーが集結し、「新自由連帯」のメンバーと対峙することになった。

反日行動は少女像をご神体と崇める狂信集団?

この間、車のスピーカーやハンドマイクの音量を最大にして互いに罵り合い、「反日行動」のメンバーが少女像と自分の体を現場にあった横断幕で巻き付けたり、少女像の周囲に立て看を建てたりして、「新自由連帯」のメンバーが少女像に触れるのを阻止しようと必死だった。

その間に激高した「反日行動」のメンバーが角棒を振り回して暴れたため、警官に取り押えられて連行されり、少女像の傍らに座り混んでYouTubeの映像を撮っていた「新自由連帯」側の中年女性が、「反日行動」のメンバーから暴行を受けたといって車椅子で運び出され、救急車で運ばれたりするシーンもあった。

それにしても、「新自由連帯」側が「慰安婦は国際的な詐欺だ」「日本軍に強制連行されたり虐待されたりした慰安婦は1人もいない」「反日は精神病だ」などと耳の傍でがなり立てる中で、少女像を必死に守るために体を投げ出す「反日行動」の若者たちの姿は、まるで少女像をご神体のように崇め、それこそ宗教的な使命感とでもいうべきものに突き動かされた、ある種の狂信的な姿に見えないこともない。

「少女像守護」を叫ぶ反日行動は従北左派政党の別働隊だった

その「反日行動」という団体がつくられたのは、日韓両政府が苦難の交渉の末にこぎ着けた2015年12月の「日韓慰安婦合意」がきっかけだった。この合意の中に、少女像の早期撤去という内容が含まれていたことに反発し、「少女像を守る」と称して像の近くにテントを張り、座り込みを始めたのが合意発表直後の12月30日だった。このころは「反安倍反日青年学生共同行動」という団体名を名乗っていたが、2020年9月に安倍首相が病気を理由に退陣すると「反日行動」に改称した。

少女像をめぐる「反日行動」の活動が世間の耳目を集めるきっかけとなったのは、2020年6月、慰安婦支援団体「挺対協」と「正義記憶連帯」をめぐる会計不正問題が大きく取り沙汰された時期に溯る。

そのころ少女像の撤去を要求していた「新自由連帯」は挺対協、のちの正義記憶連帯による水曜集会を妨害するため、集会開催の警察への届け出が30日前から受付開始となる制度を逆手にとり、集会30日前の午前0時に届け出を行い、少女像近くで毎週水曜日に集会を開催する権利を確保した。

「新自由連帯」による少女像近くでの最初の集会が開催されたのが2020年6月24日だったが、これに対して「反日行動」側は、その前日から少女像に自分の体を縛りつけるなどして少女像周辺を占拠し、その日以来24時間徹夜体制での座り込みに入った。

少女像のすぐ隣りに縦・横・高さ1メートルほどのボックスを設置し、その中で日よけの傘をかぶって、メンバー1人が24時間陣取り、雨の日も雪の日も交替での立てこもり、彼らが言う「徹夜籠城」は現在まで続いている。

前回、前々回の当ブログで11月16日、文京シビック・スカイホールで開かれた「慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウム」のことを紹介したが、このシンポジウムで報告したフリージャーナリストの朴舜鐘(パク・スンジョン)氏によると、この「反日行動」のメンバーのほとんどは「民衆民主党」という極左政党に所属する若者たちだという。

 (「慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウム」で報告する朴舜鐘氏・右から2人目)

「コリア連帯」は利敵行為を行う反国家団体

民衆民主党の前身は「自主統一と民主主義のためのコリア連帯」という組織で、北朝鮮の対南革命論に追従し、北朝鮮式の社会主義を実現するとして、民族解放と在韓米軍の撤退などを要求して活動していた。

この「コリア連帯」について、韓国の大法院(最高裁)は2016年10月、「利敵団体」に当たると認定し、その代表者など3人を国家保安法違反で有罪としている。

利敵団体とは「反国家団体(北朝鮮を指す)などの活動を賛美・鼓舞・宣伝、もしくは同調し、国家の混乱を画策、煽動することを目的として結成された団体」とされる。

コリア連帯は、思想的には北朝鮮の主体(チュチェ)思想を信奉する従北左派団体で、2011年金正日総書記が死去した際には、共同代表の1人を政府の承認を得ずに平壌に派遣し弔問させたほか、2013年11月にはドイツで国際学術大会を開催し、北韓統一戦線部所属の工作員と会合するなどの利敵活動を行った容疑で起訴された。

コリア連帯が2016年10月に国家保安法違反で有罪判決を受けた翌月に、民衆民主党を結党し、コリア連帯が発行していた機関紙やネット新聞をそのまま引く継ぎ発行している。

民衆民主党は、その年の朴槿恵大統領弾劾に繋がる「ろうそくデモ」に参加したほか、THAAD高高度ミサイルシステムの配備反対活動でも積極的な動きを展開していた。

またコリア連帯の共同代表の1人、チョ・ドクウォン氏は、1992年の「中部地域党(民族解放愛国戦線)事件」にも関わった人物でもあった。

中部地域党事件とは、北朝鮮のスパイ、李ソンシルの指揮のもとで、工場の労働者などを抱き込んで武装勢力を組織し、学園・労働・言論・文化界へ組織員を浸透させ、北朝鮮からの指令を受け、北朝鮮に内通して国内情勢を報告していたほか、金日成・金正日父子を賛美するパンフレットなどを制作したとされる事件で、当時の国家安全企画部KCIAに摘発され、62人が逮捕されるなど、韓国建国以来最大の公安事件として知られる。

日朝国交正常化交渉の裏で北朝鮮は慰安婦問題に目をつけた

実は、こうした陰謀事件が進行していた1990年代はじめ、慰安婦問題が日韓両国の外交問題として本格的に浮上する過程にもあった。

挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が組織されたのが1990年11月16日。慰安婦として最初に名乗りを上げ、日本政府を相手に訴訟を起した金学順の証言が行われたのは1991年8月14日。1回目の水曜集会が行われたのが1992年1月8日だった。

シンポジウムで反日行動とそれに繋がるコリア連帯に関する報告を行った朴舜鐘氏は、金学順の証言が行われた1年前の1990年9月、自民党代表団(金丸信団長)と日本社会党代表団(田辺誠団長)が訪朝して金日成と会談、朝鮮労働党との間で「3党共同宣言」をまとめ、日朝国交正常化への議論が始まったことに注目する。

金学順の証言がそれから1年後に行われた背景には、北朝鮮が慰安婦問題を利用して日本を圧迫し、日朝国交正常化交渉において有利な位置を確保すると同時に、日韓両国の国民を互いに歯向かわせ、日米韓の結びつきを切って、朝鮮半島の赤化統一のための有利な環境を造成する目的があった。つまり慰安婦問題には最初から北朝鮮が絡み、関与していた疑いが強いとみている。

現に挺対協の活動に最初から従事し、のちに理事長となった尹美香(ユン・ミヒャン)の夫は北朝鮮のスパイとして在日朝鮮団体から工作資金を受け取っていたとして懲役4年の実刑を受けるなど、北朝鮮と強い繋がりがある人物であり、慰安婦少女像の守護を叫ぶ反日行動やその前身のコリア連帯も北朝鮮からの指令を受けて活動をしてきた可能性があると見られている。

慰安婦団体は北朝鮮との仲介を日本社会党に依頼

コリア国際研究所の 朴斗鎮所長によると、1987年6月韓国で民主化宣言が行われた直後、挺対協の前身である韓国教会女性連合会会長の李愚貞(イ・ウジョン)が8月、長崎で開かれた原水爆禁止世界大会に参加し、日本社会党参議院議員で日本婦人会議議長の清水澄子と長崎湾で船上における秘密会談を持ち、北朝鮮との連携の手助けを要請。日本社会党婦人部、韓国教会女性連合会、それに北朝鮮統一戦線部傘下の祖国統一民主主義戦線の連帯をどう実現するかを巡って謀議を行った。そのときの様子を清水澄子は朝鮮総連機関紙「朝鮮新報」2002年6月6日付紙面で「李愚貞さんを悼む」で語っている。わざわざ船上で会談したのはKCIAの目を警戒したためだという。このとき李愚貞は、北朝鮮の祖国統一民主主義戦線の呂鷰九(リョ・ヨング)議長との会談について清水にその仲介を頼んだという。

金丸・田辺訪朝団のあと、1991年1月から日朝国交正常化予備交渉が始まるが、この過程で北朝鮮は日本からの賠償金獲得と日韓分断戦略として慰安婦問題に目をつけたと見られる。そして、こうした政治状況のなかで結成されたのいが挺対協だったと朴斗鎮氏はいう。

朴斗鎮TV「暴かれた元慰安婦支援団体の正体~「挺対協」と「正義連」~」

日韓分断工作に日本社会党が果たした役割

清水澄子と李愚貞による1987年の密約は、1991年5月に実行に移される。この年の5月25日、北朝鮮女性代表団(団長=呂鷰九(リョ・ヨング・祖国平和統一民主主義戦線議長)が日本を訪問。 5月27日 社会党傘下の「日本婦人会議」が「アジアの平和と女性の役割シンポジュウム」を東京・日暮里のホテルで開催。北朝鮮から3名、韓国から3名の代表が参加した。北朝鮮代表団長の呂鷰九祖国統一民主主義戦線議長と韓国代表団長の尹貞玉(ユン・ジョンオク)「挺対協」共同代表が南北共闘で合意。この合意以降、挺対協と北朝鮮の関係は強まり、挺対協は日韓分断の策略に中心的な役割を負っていくことになる。

「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」はその後、1991年11月25日、2回目をソウルで開催。翌1992年9月4日、3回目を平壌で開催している。この時には韓国代表団の団長、李愚貞が金日成と会見している。

挺対協は慰安婦問題の解決を目指すのではなく、彼らに必要なのは問題の深刻化、悪化、慢性化であり、問題が解決されずに大きくなり永久に維持されることだと指摘される。そうなると慰安婦運動とは「陰謀」そのものと言えるが、そもそも慰安婦問題は吉田清治の虚偽捏造から始まり、日本の左派の女性問題や人権問題の活動家・弁護士らが国際社会に広げてきた問題であり、北朝鮮による日韓分断工作にも日本社会党など左派勢力が関与した結果となっている。

慰安婦運動は北朝鮮核開発計画の裏で推進された

さらにハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授と早稲田大学の有馬哲夫教授が共同執筆し、SSNR論文として今年8月8日に発表した「Comfort Women: The North Korean Connection」(慰安婦と北朝鮮との繋がり)では、「明らかに北朝鮮と密接な関係がある腐敗した組織(そのリーダーが今、横領罪で公判中)が慰安婦運動を掌握した(リーダーの夫は北朝鮮の団体に文書を渡した罪で服役した)。着実に韓国内のエスノナショナリズム(=国と民族を同一視する民族主義運動)を煽り、日本との和解を中断させた」と述べている。

ここでいうリーダーとは尹美香のことだ。彼女は1992年から挺対協の幹事を務め、1995年アジア女性基金からの見舞い金や2015年日韓慰安婦合意のあと支給された補償金の受け取りを拒否するように元慰安婦たちに仕向け、日本の資金を受け取った元慰安婦については「裏切り者、売春婦」と罵り、「残りの人生は恥辱の中で生きろ」とまで言い放った。

1990年代初めからの慰安婦運動の拡大の一方で確実に進んだのが北朝鮮による核ミサイル開発だった。挺対協が結成された1991年は、北朝鮮が後ろ盾としていたソ連が崩壊した年でもあった。北朝鮮は1980年代から核開発を進めてきたが、表面的には朝鮮半島の非核化を口にし、1994年の米朝枠組み合意や2003年の6か国協議など交渉に応じる姿勢を取りながらも、その裏では生き残りをかけた核保有国への道を突き進んでいた。そうしたなかで、韓国と日本がアメリカと組んで北朝鮮の核開発を妨害してくることを最も嫌って、日韓の離反を画策する手段として使ったのが、慰安婦問題であり、その実行部隊が尹美香であり、コリア連帯であり、反日行動だったのである。

慰安婦運動と北朝鮮核開発の中で尹美香が果たした役割

ラムザイヤー教授らは論文の中で「(慰安婦運動の)これらすべてのことは北朝鮮が着実に核兵器を開発する間に起きた。北朝鮮と慰安婦運動を運営する組織の間の緊密な関係を考慮すると、このことが核心であるかもしれない」と述べている。

また尹美香について、論文の結語で「決定的に重要なのは、尹氏が北朝鮮寄りの活動家のネットワークの中心に立っているという点だ。 北朝鮮が積極的に核兵器を開発する間、彼女は30年間、韓国と日本を引っ掻き回してきた。彼女は誰よりも、韓国において日本に対する敵意を燃え上がらせる民族主義を執拗に煽ってきた。その過程で、彼女は日本との和解を阻止してきた。事実上、彼女は北朝鮮の核兵器計画に対して両国が協調して対応するのを妨げてきた。そうすることで、彼女は北朝鮮の政権が必要としていたことを正確にやり遂げたのである」と結んでいる。

韓国人でまともに思考できる頭脳を持つ人には、慰安婦問題の裏に隠された、こうした陰謀を一日も早く見抜き、彼らを社会から排除し、嘘のない正常な国に戻ることを願ってやまない。

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