<韓国観光ビザ申請に日本の若者らの長い列>

6月1日から韓国への観光ビザでの入国が可能になった。これに伴い、東京・麻布十番にある韓国大使館には観光ビザを申請する人の長蛇の列ができ、朝10時には500メートルにわたって1000人が並んだという。韓国大使館側は一日に受けつける申請者数を200人に制限したため、多くの人が虚しく帰宅するなかで、そのまま路上にレジャーシートを広げ,徹夜の体制で待つ数十人の人まで出現したという。観光ビザを申請した人々の韓国旅行の理由はそれぞれ多様だ。「K-POPアイドルのコンサートを見るため」「コロナで会えなかった韓国人の彼氏に会いたい」「留学中の娘に会うため・・」etc

芦田愛菜ちゃんとともに子役として活躍し、この6月で18歳になるという鈴木福くんが、「僕達世代で今行きたい国は何処ですか と聞かれたら一、二番に韓国が上がると思う」とテレビのワイドショーで答えていたというから、若者たちの間ではK-POPの魅力は絶大で、それが無条件に若者たちを韓国に引きつけている、ようだ。しかし、「何だかなぁ」という複雑な思いでもある。

K-POPのアイドルたちは、思う存分、自由に、自分のやりたい歌や踊りを楽しんでいるように見えるかもしれないが、10歳とか12歳とかの幼い頃から歌や踊りのレッスンに飛び込み、実際にデビューしスターダムにのし上がるのは、ほんのわずかな人たちに過ぎない。それまでの下積みの時代には、プロダクションやテレビ局の言いなりで、誰にでもペコペコと媚びへつらい、海外を含めあらゆる場所のイベントに引っ張り出され、こき使われ、自分の自由な時間などないし、それこそ奴隷のような生活を強いられる。そうしたなかで、「性上納」といった事件が起きたり、自殺する女性タレントが跡を絶たなかったり、悲惨な事件の温床にもなってきたことも事実だ。

K-POPアイドルを売り出す韓国エンタメ産業は、いまや韓国政府の文化体育観光部(省)が支援する国策産業であり、大韓貿易投資振興公社KOTRAや韓国国際文化交流振興院KOFICE、それに国営テレビKBSなどが強力なタッグを組んで世界にコンテンツを売り出しているのが実態であり、在外公館を通じて海外のK-POPファンを組織し、KBSなどがK-POPファンの世界的なコンテストを毎年開催している。KBSの国際放送を見れば、K-POPの宣伝コンテンツばかりで、もはや海外プロモーションのエージェントと化している。

つまり、いまや世界的に流通しているK-POPコンテンツは、韓流ドラマや韓国映画を含めて、韓国が国策として進めている韓流コンテンツの輸出政策の一環であり、K-POPが世界の若者を引きつけるのも、そのように仕組まれ、演出された国家的なPR戦略があり、K-POPファンはそうした国家的な大宣伝戦略にうまく絡(から)め取られた人々だということができる。

そして、今やこの韓国の国家戦略に、アメリカのホワイトハウスや国連まで巻き込まれている。バイデン大統領はBTS=防弾少年団をホワイトハウスに招いて面談し、アジア人へのヘイトクライム対策のためのキャンペーン・ビデオを制作した。国連も、BTSを国連本部に招いてSDGsのために国連を舞台にミュージックビデオを制作し、BTSを政治利用すると同時に、BTSの宣伝キャンペーンに一役買っている。

KBS日本語ニュース6/1「ホワイトハウス訪れたBTS 「アジア系への憎悪犯罪の根絶を」

BTSやBlack Pinkの歌や踊りは確かにカッコいいかもしれないが、ビートルズがベトナム戦争に反対したように、BTSがウクライナの戦争に反対し、北朝鮮の核開発やミサイル発射に反対を唱えたことがあるだろうか?BTSの歌に何か時代に対するメッセージが込められ、それが世界を変えたという力を示したことでもあるのだろうか?私は何も知らないので、そういうことがあったのなら、ぜひ教えて欲しい。

<日本人にはとげとげしいソウルの真の姿>

ところで、K-POPに憧れ、旅行してみたいと大勢の若者達が望む韓国だが、その韓国の街は、実は日本人たちにとって優しい街ではないことを知っているだろうか?いたる所に、日本人への憎しみが溢れ、とげとげしい街というのが本当の姿でもある。

最近も、ソウル市の中心部・徳寿宮(トクスグン)の周りを歩いていたら、日本人にとってはいたたまれないような観光案内の看板を見つけた。最近になって設置されたもので、初めて目にするものだった。そこには「貞洞(ジョンドン)近代歴史の道、歴史歩行探訪路」(英語ではJeongdong Heritage Trail)と書かれ、徳寿宮周辺の歩いて回れる観光ルート5つが紹介されている。国王高宗が1895年から死去する1919年まで暮らした私邸「徳寿宮」周辺の貞洞と呼ばれる地域は、米国や英国の公使館があり、教会や西洋式学校、劇場など文化施設などがある場所で、いわば朝鮮王朝末期に西洋諸国に国を開き、近代化に踏み出した象徴的な場所でもある。

そうした場所に残る昔の建物や建物跡をテーマごとに5つに分かれてめぐる観光コースのうち、第2コースは「苦痛の道」(Path of Agony /아픔의 길)と題され、日本統治時代に破壊された徳寿宮の関連建築「璿源殿(ソンウォンジョン)」や高宗がロシア公使館に逃げ込む際に使ったとされる逃亡ルート(「高宗の道」として2019年に復元された100メート弱の道)をたどるルートなっている。このルート上には、1927年に同じく日本によって破壊され、現在復元工事中の「惇徳殿(トントクジョン)」の建物もある。

                        (復元工事中の「惇徳殿」)

要する「苦痛の道」とは、日本統治時代に破壊された徳寿宮関連施設の跡を訪ねるルートであり、それに、なぜか高宗のロシア公使館逃亡も日本のせいにされ、その逃亡ルート「高宗の道」が探訪ルートに含まれているのだ。高宗のロシア公使館逃亡(「露館播遷」)は1896年2月のことで、その前年に閔妃暗殺事件があったとはいえ、別に日本が亡命させたり追放したりしたわけではない。すべて高宗が決断し、外国に頼らなければ何もできない彼の怯懦が招いた事態である。

それにしても、貞洞周辺の5つの観光ルートで教会や学校など西欧諸国が関わる建物の見学は、『第1コース、実践の道;学習と共有』、『第3コース、外交史の道;外交タウン』、『第4コース、近代化の道;新文化と啓蒙』、『第5コース、近代韓国の道;大韓帝国の中心』など前向きな評価のテーマが並んでいるのに対し、日本が関係したという部分は『第2コース、苦痛の道;旧徳寿宮の建物』とし、「아픔(苦痛)」「Agony」という激しい言葉まで使って否定的な評価を下している。

この観光案内板を見た外国人観光客はどう思うだろうか?「日本はやはり歴史的に悪いことばかりしたから、韓国人に嫌われている」と率直に感じたに違いない。

しかし、日本が徳寿宮周辺の「璿源殿」を撤去したのはその跡地に京城女学校を造るためであり、「惇徳殿」を撤去したのも周囲の道路建設の障害になったことや、その跡地に児童遊園地をつくり開放するためだった。とにかく高宗が死去する1919年まで、徳寿宮とその周辺の広大な敷地は、高宗一族の私邸として使われ一般市民が立ち入れる場所ではなかった。高宗の死後に徳寿宮を一般市民に開放するために、日本は徳寿宮のなかに現在も美術館として使われている石造りの洋館を建設したり、その前庭に噴水の花壇を造成するなど、公園として整備したのである。当時の一般市民にとっては、自分たちを搾取した朝鮮王朝の宮殿が自分たちのものとなり、自由に出入りできる空間になったというだけでも、大きな喜びであり、これが「苦痛」な記憶であるはずがない。

                        (「璿源殿」があった場所)

<植民地近代化を否定するための朝鮮王朝末期への回帰>

今、韓国政府は、「惇徳殿」の復元工事を行い、「璿源殿」も将来、再建するため発掘調査を行っている。その「璿源殿」跡地と米国大使公邸の敷地に沿って作られたのが高宗の逃亡ルート「高宗の道」である。つまり韓国政府は、この一帯を高宗時代の朝鮮王朝末期の姿に戻し、その時代を回顧するための場所に変えたいと考えているのだ。何を回顧するためか?日本に併合されなくても朝鮮の近代化はできたということを示すため、つまり「植民地近代化論」を排斥し、大韓帝国独自の近代化が可能だったということを言いたいのである。

ところで、水原(スウォン)にある朝鮮王朝の離宮「水原華城」もそうだが、市内中心部にある立地もあって、日本統治時代に華城の古い建物は取り壊され、小学校や総合病院が建設されていた。それを今、小学校や病院は移転させ、ふたたび朝鮮王朝時代の宮殿の建物に戻し、観光用に公開している。再建された宮殿の建物は、韓流歴史ドラマのセットに使われるような、ソウルの王宮とどこも変わらない宮廷の形式で、わざわざ水原にまで出かけて見るほどの価値はない。それと同じようにソウルの徳寿宮周辺でも、近代化のための人材を養成する学校の土地を廃止し、わざわざ何の役にも、誰の役にも立たない前近代の宮殿を復元させることに、いかなる意味があるのだろうか?

そればかりではない。ソウルの街や韓国の観光地を歩くと、かならず日本統治時代や秀吉の朝鮮出兵当時に破壊されたという説明が必ずついている。新羅の古都・慶州の観光名所「仏国寺」の入り口の大きな案内板にも、寺は1593年の文禄の役で秀吉の軍によって焼き払われたとあり、その後すべてが再建されたのは1969~1973年だったとある。しかし、朝鮮半島の仏教寺院は、秀吉以前の15世紀前半、世宗大王の時代にその多くが破壊され、ほとんど信奉されずに放置されていた。20世紀後半まで再建が行われなかったことがその証拠でもある。また秀吉の軍が仏国寺を攻めたのは、ここを拠点に地元の軍勢が立てこもっていたからだった。

もう一つ、最近一般公開された「青瓦台」の一角に、「慶州方形台座石造如来座像」、別名「美男石仏」と呼ばれる仏像があり、日本統治時代に慶州の廃寺「移車寺(イコサ)」から運ばれたものだという。これも、日本人が勝手に移転したものだから、元の場所に戻せ、という議論があるそうだが、元のお寺は当時からすでになく、仏像は野ざらし同然になっていたのである。仏像は9世紀の製作と伝わるが、それを貴重なものとして価値を認め、お堂まで作って大切に保存したのは、日本の寺内総督だった。戻すにも戻すべき寺はもうない。朝鮮半島の仏教寺院の多くが破壊された証拠は、現在、ソウルの中央国立博物館の野外庭園に無数の仏塔が立ち並んでいることをみれば分かる。仏教寺院が大切に保護されていたとすれば、それらの仏塔は本来の場所にあったはずなのである。

ソウルの国立中央博物館の収蔵品は、例えば国宝の「半跏思惟像」をはじめ、その多くが日本統治時代に日本人が購入し、日本人が寄贈したものであることは、それらの「購入年度」や「入手年度」の表示をみれば分かる。

<日本人への恨みつらみに染まっている韓国人>

しかし、それでも韓国人と韓国のマスコミは、日本統治時代の日本人の行為はすべて「収奪」だというのである。それ以外のことは考えられないし、それ以外に考えてはいけないと教えられている。だから「竹島」は、歴史的にも国際法的にも「独島」として韓国固有の領土だと教えられたら、日本側の言い分も自分で調べて、自分で判断してみようとは思わず、「慰安婦」といえば即「性奴隷」であり、「徴用工」といえば徴用が始まる1944年9月以前の「応募工」であっても、皆「強制連行の徴用」であり、何ら疑問を挟まず、自ら考えようともしない。

ソウル中心部・徳寿宮周辺の観光案内板の話をしたが、ソウルの街をちょっと歩けば、いたるところで日韓の過去の歴史に引き戻すモノや文字を見つけることができる。今まさに日本に向けて手榴弾を投げつける姿のテロリストの大きな銅像がソウル駅や「抗日義士」を祀る公園に立ち、歩道脇にある石碑や案内板にふと目をやれば、「抗日義士」という名のテロリストが日本の官公署に向けて爆弾を投げつけた場所だとか、警察と銃撃戦を展開した場所だという説明がある。安重根や尹奉吉など抗日テロリストを祀る立派な記念館があちこちに建ち、最近も南山の麓の朝鮮総督官邸があった場所に新しい抗日活動家の記念館が建ち、西大門刑務所の脇に臨時政府記念館がオープンするなど次々に新しい歴史関連施設が作られている。そして、景福宮など王宮の建物を巡れば、かならず「壬辰倭乱」つまり秀吉の朝鮮出兵のときに焼失したという説明があり、朝鮮戦争で焦土に化したという説明はいっさいない。

そして「慰安婦」「性奴隷」を象徴する少女像があちこちにたち、「徴用工」だという上半身裸の痩せこけた男の像がターミナル駅の入り口にたつ。この像のモデルになったのは、明治時代の日本人の労役囚だということが当時の写真から分かっている。また、その像の脇で「徴用工」を説明する

写真は、戦後、筑豊の炭鉱で映画撮影用に撮られたもので、ふんどし一丁の日本人が腰をかがめて石炭を掘る写真が使われている。どれもこれも本物をもとにしているわけではないので、「徴用工」像は偽物、人を欺く「詐欺」像なのだ。しかし、こうした偽物の像を作ってでも、公に訴えたいこととは、日本に対する憎しみ、恨みであり、日本人が過去に行ったことは決して忘れないし、許さないぞという決意なのである。

         (右下、隅の労働者の写真が戦後、映画撮影用に撮った写真)

「韓国のK‐POPが好きだから、韓国にあこがれ韓国人も好きだ」という若者がいるとしたら、その相手にしている韓国人は、日常的にこれら「反日」的なものに取り囲まれ、「反日」の観念に慣れ親しんだ人たちだということを知るべきであり、韓国を訪れた日本人に対して、彼ら彼女らはそういう目を向けていることを常に意識すべきなのかもしれない。