忘れていた訳ではありませんが、1月27日に行われた石垣島マラソン(フル)を今更ながら振り返ります(前編)
今年は殆んど写真を撮ってません。

その前に・・・
これまで5年連続で八重山3マラソン(与那国島・石垣島・西表島やまねこ)を共に制覇してきた奥方が、石垣島マラソンの前週に行った出張先からお土産にインフルエンザを貰ってきてダウン

幸いな事に一緒の部屋で寝起きして看病した私に感染する事はなく、石垣島マラソンに出場する常連の方々が来られる数日前に解熱して、何とか無事に御宿泊の方々を受け入れられました(ダウンした直後の御宿泊の方は申し訳なくもお断りしました)
石垣島マラソンの時にはすっかり良くなった奥方でしたが、10キロとはいえマラソンを走る体力は残ってなくて
当日の朝にチップを返却して無念のDNSとなりました。

当日は曇りで、スタートの頃の気温は16度、最高気温でも19度台。
風もそれほど強くなく、走りやすい気候でした。

9時丁度にフルとハーフが同時にスタート。
周りの波に乗って走っていたらキロ6分台を刻んでいました。
元々脚力がある訳ではなく遅いランナーの私なので、キロ7分台から入って徐々にペースを上げて後半に勝負という目算でいました。
でものっけから少しオーバーペース。
普段腰と臀部に痛みを抱えているんですが、この時はまだ違和感程度でした。
5キロ手前で左斜め前を走る私よりも年輩(多分)のランナーさんの背中のゼッケンが外れかけていたので、声をかけて5キロ地点のエイドで止まって直します。
話を聞いたら転倒しちゃったとの事

ケガは無さそうでしたが、その後無事に完走できてれば良いのですが・・・
5キロ地点にはトイレもあるので用足しをして給水して、またキロ6分台で走り続けます。
6~7キロ辺りで私よりずっと年輩のハーフのランナーさんがいて、背中のゼッケンに私の出身地のサッカーチームを応援しているという事を書いていたので話しかけてみたら、現在は神奈川に住んでいるけど私の実家の隣の町内が出身地と判明。
遠く離れた石垣島で地元の大先輩に巡り会うという奇遇。
お互い完走を誓って大先輩とお別れしました。
8キロ辺りからキツイ坂道が2キロ程、15キロ辺りも同じようにキツイ坂道が2キロ程あるんですが昨年頑張った坂道トレーニングのお陰で難なくクリア。
17キロまでは6分台(給水入れても7分台)で走れました。
17キロ地点には、ランナーやボランティアとしてお世話になった石垣島ウルトラマラソンの運営さんが開設しているエイドがあるんですが、
そこに着いたら急激にお腹が空いてきました。
朝ごはんで炭水化物たっぷり摂ったはずなのにエネルギー切れ

ポーチや短パンのポケットにジェルを忍ばせていたので、それを少しずつ摂取しました。
17~18キロ辺りでハーフの人達とはコースが分かれます。
18キロのエイドでバナナとミカンがあったのでバナナ2切れとミカンを両手に持って食べていたら女学生に笑われました
ちょっと恥ずかしかったです。

18キロから先はアップダウンが多くなってキツくなります。
昨年は19キロ辺りで両脚が攣って、残りの20キロ超をキロ9分台で歩いて制限時間ギリギリで完走するという苦しい経験をしました。
今年は漢方薬とミネラル剤のお陰で攣る事もなく件の地点を通過。
エネルギー不足のためエイドに寄る時間も長くなってきましたが、この辺りではまだキロ7分台で走れていました。
21キロの中間地点には制限時間3時間(12時丁度)の関門があるんですが、30分前頃には無事に通過しました。
長くなったので後半に続きます。