夜毎世事(YOGOTO2)

夜毎世事(YOGOTO2)

毎夜かどうかはわかりませんが、自分事よりは世の事につき、思いつくまま書き連ねようと思います。自分のための日記ではないので、他の人にも読んでもらえるよう、過不足ない文章となるよう心がけます。

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拝啓 赤坂真理様
言寄せ感想文第1回を書かせていただきます。
 
「愛と暴力の戦後とその後(講談社現代新書)、「東京プリズン(河出書房新社)、「箱の中の天皇(文藝2018年冬季号)」拝見しました。

敗戦と戦後の天皇は3冊に共通するテーマですが、まず、「愛と暴力の戦後とその後」のP44が印象的でした。敗戦に伴う膨大な罪悪感や恥や被害意識までも一身に引き受ける天皇が「生き残った者たちの免罪符そのものとなり、生き恥を代ってさらしてくれるもの」としての象徴になったという点です。
実質的なトップだったヒトラーは死んで一身に罪を引き受け、形式的なトップだった天皇は生きて罪を引き受けたのだろうと。私の想像ですが、靖国神社にA戦犯合祀以降天皇が参拝しなかったのは、300万人の自国民を死に至らしめた責任者たちが、戦死者の多くを祀った靖国神社に合祀されることに納得いかなかったからでしょう。連合国に対する罪ではなく、国民に対する罪を生きて背負う天皇にとって、同じく死んで国民に対する罪を背負ったはずの者が、英霊と同じ場所に祀られることに強い異議を感じたのではと。
靖国神社が、彼らA級戦犯が「誤った東京裁判で違法に処刑され」かつ「天皇を守った英雄」と考えて合祀したのか、私にはよくわかりませんが、合祀には、連合国に対して開戦したことではなく、明らかに勝てない状況になっても戦争をやめられずに膨大な国民を死なせた罪という最も重い部分が欠落しているように思います。天皇はまさしくそこを引き受けて代々慰霊の旅を続けているのでしょう。靖国神社に行けない分、なおさらのことです。
最近、靖国神社の宮司かどなたかが、慰霊の旅に出かけるばかりで靖国を訪れない天皇を批判したようですが、靖国神社には「国民に対する罪を背負うもの」という概念はないのかもしれません。私は、そもそも刑死者は靖国に祀る対象ではないことと同時に、「外交的配慮」ではなく、自国民、特に英霊への罪を背負うべきものとして分祀する、”英霊に遠慮する”のが妥当ではないかと思います。
まだ読んでいないですが、御厨貴さんという方が「天皇の近代」という本で、「天皇や王室の不断の行為や発言」を「能動化」と書いているそうです。日本では天皇を御簾の奥で祈るだけの存在にしたい人もいるようですが、民主制国民国家での天皇・王室は、能動化しないと存続はあやうくなると私は思います。皮肉なことに、靖国神社はA級戦犯合祀で天皇の能動化をより後押ししたとも考えられます。
 
さて、文学というものに不慣れな私が感想文らしきことを書くのは不適切極まりないかもしれませんが書いてみます。文学、特に小説というもののうち、純然たる内面、あるいは小さな世界の物語を描く私小説的な、あるいは全くのファンタジー的な小説以外には、少なからず歴史的事実や解釈、現時点の社会の実体や背景というものが関わってきます。そこに専門家や学者という人たちから、やれ「認識不足だ」だの「そのことは専門家が既に書いている」だの言われる余地が生まれるのでしょうが、それを最も言われやすいテーマに真正面から取り組んでいること自体が赤阪さんの真骨頂なのですよね。閉じた世界の中で学者や専門家たち自身が分かりあっているだけでは世界を変えることは出来ません。
ある人が「これからは正解ではなく納得解が求められる」と言ってましたが、誰が何と言おうと納得を追及する姿勢は大切で、それを「閉じた専門世界」の外に小説という表現形態で広く発信し続けることに私は大いに共感します。そういう姿勢は、有能なあるいは有望な政治家と似通っているかもしれません。
私は文学の作法やレトリックがよくわからないので、(すみません!)ここぞと思うところ以外を読み飛ばすことが少なからずあります。文学に限りませんが。
しばらく時間をいただいて、2回目を書きますのでよろしくお願いします。

アメフト反則事件について、そもそも日本大学がスピーディーな対処が出来なかったのは「コトの悪質さ」にどう対処すべきかわからなかったからではないでしょうか。
この期に及んで日大はまだコミュニケーション不足と当該選手の問題というスタンスを変えず、次にはコーチに責任を負わせるストーリーにしたいように見えますね。  
この展開は森加計問題で総理大臣を守り抜こうとする官邸の面々と全く同じで、大学の人事を一手に握り学生の就職にまで影響力を発揮してきたらしい実力派の常務理事を守り忖度することが運営組織の行動基準になっているような大学なのでしょう。  ですから常務理事本人も、理事を辞めてしまったら自分を守るものが一切なくなることがわかっているわけで、ぎりぎりまで悪あがきせざるを得ないのでしょう。”常務理事、辞めてしまえばただの人”ですから。  

 

コトの”重さ”ゆえに日大の初動対応が出来なかったのに対して、森友問題がこじれた発端は、首相が「私や家内が関係してたら辞めますよ。」と言ってしまった”軽さ”にあると思います。おいおいそこまで言っていいんかい?!と思った人は少なくないと思います。やっぱり「私」だけにしとけばよかったのに。

 

森元首相が最近、安倍さんのことを別の意味で「半分、青い」と言ったそうですが、なるほど。

■平安時代から始まっている「象徴天皇制」

平安時代以降、歴代天皇はその時々の最高実力者と折り合いをつけて万世一系の天皇家を無事存続させることこそが使命であり、平安期以降、実権も実力も失って絶対君主として前面に立つことがほとんど無かったのは、中国の歴史にある易姓革命を恐れてきた側面もあると私は思っています。王朝交代という革命によって全否定されてしまう可能性を歴代天皇は密かに恐れていたのではないかと思うのです。その可能性があったのは、天皇は絶対君主であるべきと考えた後醍醐天皇の代で、自ら先頭に立って争乱を招きましたが、その企ては短命に終わりました。日本の天皇制に代々受け継がれた「帝王学」があるとすれば、それは「万世一系の持続」であり、そのために摂関家や“武家の棟梁”など時の実力者と折り合いをつけていくことが基本ではなかったか。平安末期からすでに天皇は君臨も統治もしない象徴天皇だったと言えるのではないかと私は思います。

 

■天皇に軍服を着せてしまった明治維新

しかし、幕末維新の日本は、後醍醐天皇以来途絶えていた天皇親政を選びました。「君臨すれども統治せず」の欧州的立憲君主制を範としたという見方もありますが、大元帥として大本営の長であり、統帥権に関与できない政府を従え、国家機構の頂点に君臨し統治する絶対君主制です。私は幕末の孝明天皇が岩倉や長州藩を嫌っていたのは、彼ら尊王攘夷派が天皇親政という絶対君主制の回復を志向していたからだと思います。(孝明天皇暗殺説はこの「過激思想を唱える公家と長州に対する孝明天皇の嫌悪」が理由だと思います。)孝明天皇が若くして崩御し、一気に討幕と国家近代化のそれこそ錦の御旗として天皇親政が起動します。私はこの時点で伝統的な「象徴天皇制」が途絶え、(後醍醐天皇のときとは異なる)天皇本人の主体性なき天皇親政が始まったと考えます。京の都の天皇家を取り巻く人々が想像だにしなかった東国への遷都などは、万世一系の長い伝統を遮断・決別し、藩閥政府が自在に運用できる天皇親政を目指したということではないかと思います。明治天皇に軍服を着せ、統帥権という仕組みで天皇を実際に軍人の長にしてしまい、結果として明治維新からおよそ80年後に、戦に負けて無条件降伏し、天皇制を危機にさらしました。

 

■万世一系の断絶を恐れたであろう昭和天皇

1901年生まれの昭和天皇は、10代だった1910年代に、辛亥革命による清朝の崩壊、ロシア革命による皇帝一家の惨殺、第一次大戦の敗戦によるドイツ皇帝の退位・亡命という、3つの大帝国の帝政の崩壊を目の当たりにしています。そして共産主義ロシアが1945年初頭にはドイツに、8月の敗戦間際には満州と千島樺太になだれ込みました。天皇制存続の直接的危機を感じたときに初めて、天皇は敗戦の聖断を下したのではないでしょうか。

日本とドイツは、両国ともに多くの国民の熱狂のもとに戦争を遂行した点は共通ですが、戦争の総括には決定的な違いがあったように思います。ドイツは、名実ともに絶対者であったヒトラーとそのナチス党に責任を完全に収斂させ、クリアに総括することが出来ました。それに対して日本ではヒトラーのような絶対者では決してなく「主体性の曖昧」な天皇は責任が無いとされ、そのことが日本自身の戦争の総括を難しくしているように思います。

昨日までの敵国が天皇を無罪として占領統治に利用し、天皇は天皇制の存続のために勝者の占領シナリオに忠実に従うという双方の関係は、あたかも今に至る日米関係の原点のように思えます。そして皮肉なことに、米国から指示された「日本国憲法」は、本来の天皇制の実態に近い(と私が思う)象徴天皇制を回復させてくれました。

歴史にイフは禁物とはいえ、御退位によって少なくとも道義的責任をとり、筋を通し、天皇制を盤石なものに戻すという選択はありえたように思いますし、実際、天皇の身近に居た皇族方は退位しか選択の余地がないと思っていたとの記録もあるようです。本来的な万世一系の堂々たる存続のためには、御退位がベストではなかったかと。

 

■米国という新たな“武家の棟梁”

退位を昭和天皇と側近が拒否し、道義的にでも自らの責任を口に出来なかったのは、天皇家存続のために米国という最高実力者(=武家の棟梁)と折り合いをつけるという、天皇家の伝統的な最大・最優先の使命を忠実に果たすということではなかったか。米国の描いた天皇無罪のシナリオを揺るがすわけにはいかず、天皇制存続の脅威となる共産主義に対抗できる実力者としての米国に寄り添うという選択肢しかなかったからではないかと思います。

大元帥としての天皇とともに戦争に臨んだ天皇の忠臣東条英機は、1941年の開戦から1944年まで、戦時の大半を天皇とともにありました。その最後の忠義として責任の一切を引き受け、天皇無罪を裏付ける証言を残して死刑台に臨みました。それにはGHQの強い意向が働いていたそうです。私が思うには、「天皇の主体性は曖昧だった“かもしれない”」が天皇の意向に逆らって事を進めたことは一度もない、というのが東条の本心だったのを、「天皇の主体性は曖昧だった“ので”」天皇は渋々追認したことに切り替えたのでしょう。

「大右翼史」という本には、「宣戦の詔勅が天皇の御本心でなかったら、御本心を信じて命を捧げた多くの英霊は浮かばれないし、逆に御本心なら、戦争裁判を免れるために側近たちが寄ってたかってごまかしたのは怪しからん。」という主旨の右翼の憤りが書かれているそうです。

 

■“伝統的象徴天皇制”への回帰

世界で最も長い歴史を持つ天皇制は、統治に関与しない名目的元首であり、国民の象徴としてひたすら国民のために祈るという存在であるのだろうと思います。天皇家の伝統は、「軍服を着た絶対君主」ではありません。中世以来、国民に対して絶対君主としての責任を全うする用意・準備の無かった天皇家に、名実ともに軍服を着せたところから日本の近代は始まり、軍服を着せられた天皇家は、結果としてかつての清朝・ロシア帝国・ドイツ帝国の最後と同じ運命をたどる瀬戸際にありました。それを凌ぎきった反面、戦争責任をはじめとする今も続く困惑のもとにもなりました。そして現在のご退位の問題にもかかわる“象徴天皇制”について、今上天皇はあくまで国民とともにあるという「実体性」の堅持を主張されています。それは、権力者に完全に取り込まれて雲上人として国民から遊離することの危険と、それが天皇家の存続を危うくするという昭和天皇の肝に銘じた思いを受け継いだものと思います。

国民に実体が見え、支持され、国民と結ばれた天皇こそが天皇家の家長に相応しいという確信、それが今上陛下が提起されたご退位問題の根源だと思います。

 

平成の玉音放送~ニュースでや新聞で何人かが言ってました。マスメディアを通じて天皇の意思を広く国民に知らせるという意味では全く同じですが、重要な違いがかあるように思います。
1.昭和の玉音放送は、天皇による「詔勅」という国事行為でしたが、「平成の玉音放送」は法律に位置付けられた天皇の公的な仕事ではなく、あくまで「陛下御自身のお気持ち」の表明という極めて異例中の異例の出来事でした。
2.昭和の玉音放送は、政府の誰もがしり込みする(あるいは天皇以外では効力を発揮できないと考えた)無条件降伏発表を、いわば天皇に押し付けた「天皇が受け身」の発表でしたが、今回は天皇ご自身の意思を国民に語ることで、「受け身のままで動きの鈍い政府を動かす」という逆のケースだったのだろうと思います。

天皇陛下の本音的な部分を考えると「実に政府というものは危なっかしいもので、自分がしっかり主張して政府を動かさないと、天皇制が危うい」という感じではないかと思います。その思いはおそらく父、昭和天皇から受け継いだもので、「自分が主体性を発揮しなかったがために敗戦と天皇制の危機という重大な結果を招いてしまった」という深刻な反省の継承ではなかったか。(ついでながら、昭和の玉音放送は国家の最高責任者としての発言であり、事後の戦争責任論に至る「状況証拠」を提示したようなものではなかったかとも思います。)

現行憲法では天皇は国家と国民統合の象徴であり、何ら政治的な権能を持ちません。よく知られるように、天皇には三つの種類の仕事があります。
1.国事行為(法律に定められた、ほとんどが宮殿や国会内で行われる信認業務)
2.宮中祭祀(明治期に復活あるいは創作された天皇家としての伝統行事)
3.行幸(お出ましと言われる、行事出席、見学、観覧、被災地お見舞い、慰霊など)
このうちの国事行為と祭祀だけでは、国民の統合の象徴としての天皇にはなれない、というのが今上陛下の根本のお考えだろうと思います。
ご発言のなかで唯一ややむずかしい言い回しとして「いきいきと社会に内在」というフレーズがありました。そこにこそ「国民の現場」に頻繁に出向いた今上陛下の真骨頂があります。国民にリアルに寄り添ってこそ始めて「社会に内在」出来ることを、恐らく昭和天皇の戦後の全国行幸に学んでいる。つまりそれこそが”象徴の実体化”であり、絶えず国民にそれを伝える必要がある、というのが今上陛下の率直な思いではないかと思います。十分な気力体力を持って頻繁に国民の前に出向くことこそが”象徴の実体化”を可能にするのであって、国事行為と宮中祭祀だけを担う「御簾の奥のミカド」で天皇家が存続できるほど甘くはない、と考えておられる。綺麗ごとではなく、国民にとって有用な天皇家でなければ、いとも簡単に天皇制が崩壊する、そんな危機感を心の隅にお持ちなのではないかと思います。

「仕事を手抜きして終身天皇でいて下さい」というのが皇室典範の本音的原則であって、それは「御簾の奥の象徴天皇」を想定したものだろうと思います。これに対して今回、「天皇は国民にとっての実体としての象徴天皇」であらねばならない、だから「御簾の奥に鎮座」しているわけにはいかない、よって「実体として機能できる天皇に移譲すべき」というお考えが述べられているわけです。それを実行に移すには、政府頼みではことが進まず、国民に直接語って世論を喚起するという、いわば「非合法的な手段」に打って出たわけです。「非合法的」であるにもかかわらず、誰もそれを正面切って批判できない、法制度や手続論を超える重みや静かな迫力のようなものさえ感じさせます。
”実体的象徴天皇制”を改めて定式化すべき時が来たのかもしれません。

次回は象徴天皇の原点である父、昭和天皇の「戦前と戦後」について書いてみたいと思います。
19人の重度の障碍者を殺害するという陰惨な事件がおきました。(およそ80年前の欧州でも同じことがもっと大規模に組織的に行われました。ナチスドイツてす。)
この事件は、平成以降最悪の大量殺人という以前に、現代社会にもっと深刻な問題を突きつけているように思います。
犯人は、重度の知的障碍者の家族や介護従業者の過重な負担を見て「社会にとっての無意味な負荷だからその原因を断つべきだ」という妄想にとりつかれたのではないでしょうか。大麻がその確信を実行に移らせる後押しをしたのかもしれません。
重度の障碍者や要介護高齢者を家庭で一人か二人の家族が面倒を看るとか、施設でも被介護者よりも少ない人数(昼と夜のスタッフの配置基準というものがあると思いますが。)でサービスする状態は現実としてあります。その深刻な状態が犯行へのきっかけになっている可能性はあります。
また、「役に立たないものは存在価値がない」といった新自由主義的なもの考え方の影響もあるかもしれません。「働く気のない人間に生活保護は無駄だ」という論理と似ています。かつて新自由主義の代表的政治家であるマーガレットサッチャーは言いました。「社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです。」多分、続けて「あとはすべて市場に任せればいいのです。」とでも言いたかったのでしょう。
私は厳然として社会は存在すべきだと思います。障害者の面倒見は本人や家族の自己責任ではなく、社会の責任としてカバーされるべきで、それも1対1のような負荷のかかる関わり方ではなく、コミュニティの多くのメンバーが寄ってたかって面倒を見るようなあり方が望ましいと思います。

私のお薦め本のひとつに「道徳性の起源」(フランス・ドゥ・ヴァール著 紀伊國屋書店)があります。ヒトの道徳性は、神から与えらてはじめて生まれたものでも、人間の理性から導かれたものでもなく、進化の過程で動物が営む社会生活で必然だったから生れたものだと彼は言います。その中で現生人類に最も近い動物である類人猿の、「障碍者」に関する二つのエピソードが紹介されています。
Episode1
アカゲザルのアザレアは、三染色体性だった。人間のダウン症候群と同じように、ある特定の染色体が三本あったのだ。動物園の大きな群れにの中で育ったアザレアには、運動能力の発達の面でも社会的な技能の面でも著しい遅れが見られた。彼女はアルファオス(ボス猿)を威嚇するといった、考えられないようなヘマをよくしでかした。アカゲザルは規則を破るものは誰であろうとただちに罰するが、アザレアは何をしてもたいてい許された。まるで他のサルには自分たちが何をしようと、彼女の愚かしさをどうすることもできないとわかっているかのようだった。
Episode2
日本アルプスの地獄谷にいたニホンザルのモズは、ほとんど歩くことが出来ず、木に登るなど論外だった。彼女には生まれつき手首と足首から先が無かったのだ。この地域の冬は非常に厳しい。その冬の間、群れの仲間たちが枝から枝へ跳び移っていくときに、彼女は雪を押し分けて這い進まなくてはならなかった。だが、日本の自然ドキュメンタリー番組ではおなじみの人気者だったモズは、他のサルたちから完全に受け入れられており、長生きして子供を五匹も育てたほどだ。私がモズに出会ったのは山の奥深くで、彼女はほとんどの時間を人間とは離れて仲間とともに過ごしていた。他のサルたちがせっせとモズを手助けしたという記録は残っていないとはいえ、霊長類の社会では、欠陥のある個体でもきちんと成長して子供を持てるということを、モズの話は証明している。

ごく少数の「障碍者」の面倒を皆が見るような社会は、類人猿にとっては常態なのかもしれませんね。
進化上は彼らの末裔である我ら人類が、それを出来ないはずはありません。
最近は堪え性が無くて、借りたり買ったりした本を完読することが少なくなりましたが、珍しく一気読みした2冊の紹介がてら、久々に投稿します。

中国が唱え始めた“デマルカシオン(世界分割)”
China2049
http://store.nikkeibp.co.jp/item/books/P51040.html
アメリカで長年中国政策のトップに居たインテリジェント・オフィサー(あるいはスパイ・マスター)というのでしょうか、元は親中派だった人が書いたからこそインパクトがあります。「アメリカはまんまと騙されていた」という本で、原題は「(もちろん英語で)100年マラソン」。中国共産党は、中華人民共和国建国の1949年から丁度100年後の2049年までに、中国を世界最強国家にするという目標を掲げ、そのために徹底してアメリカを利用する、という具合の内容です。清朝時代のアヘン戦争から20世紀の日中戦争に至る屈辱の歴史を挽回しようというわけです。
本来、古代から先進文明だった中国はおおむね世界の3分の1くらいのパワーや人口を持っていたという説があるので、当然といえば当然ですね。ただ最近は「太平洋は中国とアメリカで二つに分けるには十分な広さがある」てなことを最初は人民解放軍の幹部が、次いで習近平国家主席が公然と米国大統領の前で言うわけですから、「日本は中国のものだ」と言っているに等しいわけです。このことについて日本のメディアはほとんど何も論評してないように思いますが。
で、思いだしたのが世界史で習った「デマルカシオン(世界分割)」という、15世紀末にローマ教皇が世界を二分しなさいとポルトガルとスペインに与えたお墨付きです。地球儀を縦に切って東西に分けた境界が、アメリカ大陸では今のブラジルを通っているために、ブラジルがポルトガル語の国になり、北中米も含めてそれ以外の西側がスペイン語圏になりました。地球の反対側の境界はちょうど日本列島辺りから南に至る直線だったために、マカオがポルトガル領だったり、フィリピンがスペイン領だったりしたわけです。ゴアなどインドの一部がポルトガル領で、そこを拠点にイエズス会のフランシスコ・ザビエルがポルトガルの先兵として日本に布教を始めたのは有名ですね。(ザビエル自身はスペイン人のようですが。)要は、強いものが世界の覇権を握るんだという、随分と身勝手な、迷惑な話なわけです。

EUは事実上のドイツ帝国か
デマルカシオン(世界分割)までいかなくても、「地域覇権」的な動きは最近いくつか顕在化しているようです。“目から鱗”だったのがドイツです。
『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』 (エマニュエル・トッド 著/堀茂樹 訳)
http://hon.bunshun.jp/articles/-/3782
私の好きな、フランスの人口学者エマニュエル・トッドのインタビュー本ですが、EUが経済的にはほぼドイツの支配下になって、その規模はアメリカに匹敵しつつある、というところに驚きました。ウクライナ問題もドイツの思惑が発端だ、みたいに書いています
中国にもドイツにも共通しているのは、当事者が意識するしないに拘わらず、「帝国の再興」ということだと思います。広大な領土を維持し続けた唐・明・清という中華帝国、崩壊しては復活するドイツ帝国(フランス革命で崩壊した神聖ローマ帝国、第一次大戦で崩壊したドイツ帝国、第二次大戦で消えたヒトラーの第三帝国。)

地域大国が過去の栄光の記憶を蘇らせようとしている
ほかにも、IS(イスラム国)が目指す「サラセン(イスラム)帝国」の復興(最大の版図は8世紀ウマイヤ朝のパキスタンからイベリア半島まで。サウジなどのスンニ派宗教者の本音ではないかと私は思います。だから巨額の寄付金が集まる。)、トルコの「オスマン帝国」(エルドアン大統領がかつてのスルタンの王宮のような大宮殿を建てたのがその証拠ではないか?と)、イランの「ペルシャ帝国」(中華帝国と並んで紀元前にまで遡る、帝国の“老舗”。旧帝国エリアのシーア派支援はその手段かも?)などもありそうです。
帝国は何も版図・領土として線引きされる地理的な存在だけに限らず、トッドが今のドイツを「ドイツ帝国」と呼ぶような、経済的(あるいは軍事的)な支配・被支配の関係も広義の帝国といえます。その意味でも「大日本帝国」は無いと思います。今のドイツのような「経済的な地域覇権」は、日本の隣国が韓国・台湾・ASEANだけならありうるでしょうが、中国が既に巨大化していて無理でしょう。既に日本の隣国は中国の経済圏といっていい状態です。また一方、日本が政治的軍事的にはアメリカの帝国的影響圏に含まれることは、大方の日本の大人ならわかっていることです。左翼や一部の右翼以外の人は口にはしませんが。(但し、アメリカに保護され媚びへつらう情けない国、という風には思わないほうが良いと思います。古今東西、国が生きていくということはそういうことなんですから。)
トッドが批判していたハンチントンの「文明の衝突」は、領土的であれ非領土的であれ、これから表面化するのかもしれませんね。21世紀はアメリカ帝国の衰退と他の帝国の再興の時代という感じでしょうか。過去の栄光の時代の記憶を呼び覚まし、これに中東では宗教的熱狂が拍車をかける、そんな事態が始まっているのかもしれません。
しかし、過去の「栄光の時代」を復活させて、いくつもの覇権国家が並立する形が望ましいのか、本来そういうものなのか、あるいは時代錯誤なのか、さらには覇権国家があることで世界が安定するといえるのか、覇権国家を超越する新しい枠組み・パラダイムといったものが生まれるのか、それが21世紀の宿題なのかもしれません。

消費税10%いってしまうんですか? 「やっちゃえ〇〇!」というCMが目に付く今日この頃ですが、「やっちゃえ10%!」という感じですね。(私は当面10%程度までは上げないとどうしようもないとは思っている人間です。)

ところで、財務省が軽減税率の代わりに2%相当額の還付方式を提言しましたが、あれはどう考えても財務省主税局?の陰謀ですね。どういう陰謀かというと、自分たち官僚の新たな仕事を作る=予算をつける=天下り先を作る、というわかりやすい陰謀です。(わかりやすいのは陰謀とは言わないかもしれませんが、軽減税率を最終的に断念させるプロセスのひとつ、というのなら陰謀っぽいかも。)

早い段階から「軽減税率の実行は大変です! 特に中小企業の業務負担は大変で、皆困ると反対しています!」と与党をたじろがせて、「こんないい方法があります、しかもマイナンバーカードで厳密な運用ができ、カード普及にも役立って一石二鳥です。」という、いかにも木っ端役人が考えそうなことです。

少々理屈っぽく言うと、企業サイドの会計処理の負荷の増加が企業のコストアップにつながるので、代わりに国が面倒見ましょう、そのためには〇〇億円かかりますが、企業のコストアップに比べれば安いものでしょう、という感じでしょうか。

しかし軽減税率が当たり前の欧州では、みんな何とかやっているのに、日本人がこうした業務が苦手で間違いが多くて上手くいかない、などとは思えません。

もうひとつは、軽減税率の適用対象をどうしていくかで、役人は「こんなこと無理だ、大変だ」というネガティブな情報をメディアにばらまいているのでしょうか。少しでも税収を上げたい財務省の気持ちもわからないではないですが、政治家もメディアもあまり役人にいいようにふりまわされないようにしてほしいものです。

私は必ずしも「高級官僚性悪説」ではありませんが、政治家やメディアが劣化すると、行政機構が「悪貨が良貨を駆逐する」状態になりかねません。その「劣化」はそもそも国民の劣化によるものだという所に帰結してしまうのですが。


最近の日本では、どうも「日本は素晴らしい!」「中国韓国はけしからん!」といった、”自国礼賛、他国罵倒”型の言説が跋扈しておるようで、私としてはどうにも違和感がある、気持ちが悪い。GDP世界3位に脱落、失われた20年、といった日本の経済的なポジション変化が、日本人の気持ちを萎えさせ、新たに気持ちの良くなる言説に飛びつくという現象のように思われる。考えてみれば、敗戦後(「戦後」ではなく「敗戦後」という言葉遣いがあっても良いと思う。)、驚異の復興、高度成長、ジャパン・アズ・ナンバーワンといった「気持ちの良いストーリー」は、それ以前の日清日露戦争での勝ち戦から始まっているようにも思える。日本に限らず、国民的に気持ちの良いストーリーを皆で確かめ合うというのは、国民国家の習性なのかもしれない。(裏がえしとして、中国や韓国でも日本を罵倒することが(少なくとも建前上は)国民としてのアイデンティティにまでなっているようで、目くそ鼻くそを笑う、の類に思える。)


さて、こうした「日本国民礼賛意識」に冷水を浴びせるような本がある。野口悠紀雄氏の「戦後経済史(東洋経済新報社)」。氏は、大蔵官僚から始まって日米で経済学の教壇に立った人だけに、戦後の政治経済の実相に通じている。そのポイントは、80年代まで大成功した日本経済の基本的枠組みは、安部首相の祖父である岸信介が1940年代に構築した戦争のための統制経済体制が起点である、という点。満州で実験しかけた国家社会主義を、総力戦という非常事態にかこつけて日本本土で実態化した、というものだ。当時、小林一三が「岸はアカだ」と言ったという逸話が紹介されている。
農地解放、大銀行を頂点とする間接金融型の基幹産業、産別組合でない企業単位の労組、といった施策の原
型は、占領後ではなく1940年代に作られたものだという。何より「護送船団」「親方日の丸」といったそのものズバリの言葉が最近まで聞かれた。重化学工業に基幹産業として資源配分を優先し、完全雇用を実現する、というのは、ほとんど初期のソ連や北朝鮮の大躍進と重なる部分が大きい。(日本が違うのは、低コストの資源が世界から輸入できたこと、安い製品を海外に輸出できたこと。)
敗戦後の日本の高度成長も、確かに日本人の優秀さ、勤勉という面もあるが、石油をはじめとする海外の資
源が安く買えたこと、アジアに競合相手が居なかったことも重要な要因としている。氏に言わせれば、日本の高度成長は、毛沢東による中国の鎖国の賜物である。(=中国が世界経済に参加しなかったために、日本がアジアで最も優位に立った。)私に言わせれば、中国共産党の人民共和国建国は、日本軍による国民党弱体化の賜物である。(田中角栄に会った毛沢東がそんなようなことを言ったらしい。)ついでに。遡って、日清戦争で日本に負けた清の知識層は、日本に学べとばかり、多くの日本語(漢字)を輸入したそうで、実に日本と中国はアンビバレント(二律背反的)な関係にある。

たまたま日本の置かれた時代背景と戦中に準備された国家主導の統制経済体制が、高度成長を実現させたというシナリオは、後を追った台湾や韓国、そして中国にもほぼ共通している。海外市場とつながりながら、国内では強権的な開発独裁型の国家経営で重化学工業を優先的に育成する、というものだ。日本だけが特別ではない。(経済に代わって、最近は、アニメや食文化や文化財、礼儀、規律といった文化やライフスタイルに「日本だけの特別」を見出そうとする傾向が伺える。それは「違い」であって「優越」ではないと思うが。)


経済学には(野口氏も書いているが)「要素価格均等化定理」という理屈があって、国際間で自由貿易が行われ、生産技術が同じであれば、貿易していない賃金や地価も同じ水準に近づく、というものだ。ただし、瞬間的にそうなるわけではなく、わかりやすく言えば、一人当たりGDPが同一になる時点が「要素価格均等」であるとすれば、日本はアメリカに対して1980年代までの20~30年で追いついたことになる。

安部氏の祖父が創った、総力戦を生きぬくべく、国家の基にすべての産業をワンセットでそろえて懸命に滅私奉公するモデルの次は何か。野口氏によれば得意な分野に特化するしかないそうだ。日本より巨大なアメリカでさえ、すでにワンセット主義は20世紀に放棄し、今や煙を上げる工場がほとんど無くなったとのこと
先進国の中では1億人以上と欧州の国よりも大きな国内市場を持ち、近隣に同レベルの国が無かった日本だか
ら可能だったワンセット主義だが、人口が急激に減少し、しかも高齢者の割合が高い社会に変貌しつつあることで、事情は大きく変わる。現状の欧州の国と変わらぬ人口規模、周囲には中国、韓国、アセアンなど経済力が横並びになりつつある数千万、数億の人口規模の国々がひしめいている。
我ら日本人が“見たくない、考えたくない、気持ちよくない”現実がひしひしと迫りつつある。野口氏のこの本
が大ベストセラーになって欲しいが、多分それはなさそうな気がする。残念ながら。

久し振りの投稿です。

本業の強みを活かした(?)データ分析型の投稿もやってみようというわけで、アベノミクス以降気になっていた株価の推移と為替レートの関係をグラフにしてみました。(「世界経済のネタ帳」というデータベースhttp://ecodb.ne t/ から作成)ドルと日経平均

2010年1月から2015年5月までの5年ちょっとの円/ドルレート(横軸)と日経平均株価(縦軸)をプロットしてみました。するとR二乗値が0.9を超えており、ドルと日本株にはかなり強い正の相関があることがわかります。つまり、円が安くなる(=ドルが高くなる)と、日本の株価が高くなるわけです。 株をされてる方や金融関係の方はよくご存知だと思うのですが、何故かメディアではあまり見かけない話です。

2000年代やバブルの前後と比較して、相関度がどの程度変わったのか、いずれ昔のデータをあさってみようと思います。

何故そうか? 一応経済学部出身の私なりに整理してみました。

1.現在のグローバル資本主義では、先進国の株も通貨も売買自由で、貿易など実体経済による通貨の取引を上回る量の金融取引のみの市場が生れていること。

2.従って、日本株も日本国民のみの金融資産ではなくなって、グローバル金融資産となったこと。

3.日米欧のゼロ金利でしかも通貨供給が増大したことで、世界の主要通貨が「金融市場で稼ぐ」ための非常にコストの安い資源になっていること。

4.ゆえに、日本の実体経済のフロー、つまり経常収支の増減や経済成長率などのいわば「損益計算書」の領域よりも、グローバルな世界の通貨の流通総量や株の総額といったストック、いわば「貸借対照表」の方が株価や為替レートを決めてしまっている、のではないでしょうか。

グローバル市場の基軸通貨はドルですから、株価などグローバルな市場はドルで観る方が合理的だということでしょう。

そこで元のグラフに帰ると、日本円での株価は3年ほどでほぼ2倍になりましたが、ドルで観ると1.5倍程度です。結局、主要通貨間の流通総量の差が最も株価や為替レートに影響し、圧倒的にシェアの高いドルが株価の基軸通貨となって円を振り回している、そんな感じでしょうか。

現代中国という社会は、中国共産党独裁という政治機構以外の全てをアメリカから輸入した社会のように思えてなりません。

そのひとつの現れとして、中国エリート層の子弟の留学先はアメリカが多いように思います。日本にも中国からの留学生は多くやって来ますが、エリート層となると北米が多いのではないでしょうか。もう一つは人民元が米ドルに合わせてレートが調整されていることです。ドル円ほどには乱高下することはありません。時々米国議会が人民元が不当に安いと批判しますが、中国から安く輸入して米国内で販売して高額の差益を得るビジネスモデルは、金融ビジネスと並ぶアメリカ資本の文字通り”ドル箱”でしょう。

「ドル+”隠れドル”としての人民元」が世界経済で大きなポジションを占めているということになるのでしょう。日本が中世まで師と仰いでいた中国文明の実態は、今やアメリカと「二人三脚経済社会」になったかのようです。四千年の帝国と二百年の帝国が今のところ経済的には一蓮托生というわけです。ドルと中国製アメリカ商品が太平洋を挟んで循環している間は、この関係は続くのでしょう。

この関係は、日本に関わる二つの問題を孕んでいると思います。一つは第二位第三位である日中経済大国同士が政治的に近づきすぎることを当然ながらアメリカが嫌うということです。それを慮って、日本の政界もメディアも「日中はこんなに仲が悪いですよ!」とアメリカに訴えているような感があります。二つ目には、米中経済関係が中国の経済成長の源となって、軍事力に転化することです。(どなたの言葉か忘れましたが)経済力は軍事力の賜物ではなく、軍事力は経済力の賜物です。まともな経済力を持たなかった中華人民共和国がアメリカと日本のバックアップでかつての帝国を回復しつつあるのは、周辺国にとっては悪夢に映ります。帝国の回復とともに中国の歴史的世界戦略である「遠交近攻」もまた回復しつつあるのかも知れません。