以前、「受験とは何だったのか」という
テーマで書きました。
そこから派生して、
「大学とは何なのか」という問いが
私の中で生まれたので
引き続きモヤモヤしていきたいと思います。
この記事を作るために、
私がよく聴いているコテンラジオを
参考にしているので貼っておきます。
まず、大学はそもそもどういうふうに
誕生したかといえば、
中世ヨーロッパで知識人たちが国から独立した
自由組織を作ったことが始まりでした。
大学は、国家権力からは比較的自由で
学位授与権(=学士、修士、博士などの資格を与える権利)をもっているという意味で独立することができていました。
当たり前ですが、大学とは元々
学者を生み出すための場所でした。
しかも、当時の学位というのは
今とは比べ物にならないほど貴重であり
限られた人にしか与えられない称号でした。
ですが、現代の大学は
(特に日本の大学は)
まあそれなりにやっていれば
誰もが卒業(=学士号を取れる)できるし、
卒業後の進路というのは9割が就職です。
ビジネスを専門に学んだ訳ではないのに。
残りの1割は大学院に進学しますが、
その後研究職に就く人の割合はさらに減ります。
ちなみに、日本の大学院への進学率は年々減少。
特に日本人の学生の進学は少なくなっています。
割合的に、特に文系の学部で、留学生の進学が増えています。
この現実を見ると、
大学って何のための場所だっけ?
と思考がフリーズします。
日本は研究費に国の予算を配分しないことは
よく耳にしますし、
少子化に伴い大学は斜陽産業(アカデミーの世界を産業というのかは別として)と言われている今、博士号を取得し教授を志しても、受け皿がないことも考えられます。
それに、
日本人はおそらく学費を払えない世帯が
増えているため、大学院進学は経済的に
ナシなのもあると思います。
比べて、
留学生の進学が増えているのは
日本の大学院の学費が相対的に安いからだと
思います。
外国から見たら、日本の大学院の学費は安い。
この現実は一考に値すると思います。
しかし、この不思議な状態は今後の
大学の統廃合で変わるかもしれないと
微かな変化の兆しも感じています。
大学が淘汰されると同時に、
大学ってそもそも何のため?
日本は何にお金を使うの?
というのも見直されるといいなと思います。
・・・特にモヤモヤは晴れず、
むしろ増したような気がします。
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