マイナス金利解除間近!市場との対話で日銀副総裁ハト派発言

 

湾岸戦争のときから日本政府のやることは遅すぎ

「Too Little Too Late」

日本政府が世界から言われたくない言葉の筆頭だろう。話は1990年の湾岸戦争まで遡る。日本にはまだPKO法がなく、米国などの多国籍軍から後方支援の要請を受けたが、憲法9条との絡みで断り続けた。カネで済まそうとしたが、余計、世界から反発を買ってしまう。PKO法が成立したのは1992年になってからだ。

この時に冒頭のセリフが浴びせられた。

 

日本は失敗、米国は成功。バブル崩壊後の立ち直り策

まだある。金融危機の1997年辺りだ。三洋証券、拓銀、山一証券がバタバタ潰れた。政府・大蔵(いまの財務)省・日銀は、不良債権処理を後回しにして、あろうことか金融引き締めに走った。日本社会は金融機関に対して疑心暗鬼となり、融資を受けての新たな投資などを行なわず守りの経営に入ってしまう。これが「失なわれた20年」、あるいは「30年」を生んでしまうことになった。アメリカは2008年「リーマン・ショック」というバブル崩壊に見舞われたが、日本がいい反面教師となったようで、潤沢な資金を金融市場に流し込み短期間に金融危機を乗り越えた。

このとき世界は過去を振り返り、日本のバブル崩壊直後の金融政策を評して冒頭のセリフを言ったのだ。

 

いよいよ具体策に踏み込んだ内田副総裁発言まとめ

で2月8日、内田真一日銀副総裁の発言である。「現時点でビハインド・ザ・カーブに陥っていることはない」。「behind the curve」は金融用語で、景気や物価の上昇に対して、意図的に利上げのタイミングを遅らせる金融政策のことである。ちなみに金融用語での反対語は「forward looking」。先を見越した金融政策となる。

まあ利上げするタイミングを見失ったわけではありませんと言いたいわけだ。

ついでに内田発言を拾っておくと

「どんどん利上げしていくようなパス(道)は考えにくい」

「0・1%の利上げになる」(利上げ幅の可能性のこと)

「いきなり買い入れをやめることはありえない」(国債のこと)

「やめるのが自然」(ETF=上場投資信託買付のこと)

 

なぜ副総裁に言わせたか。学者と日銀プロパーの違い

ここまで言っても、日銀は「事前予告はしない主義」を貫いており、解除時期だけは口を濁した。ただ日銀が市場との積極的な対話を模索していることだけはわかる。

でも、なんで副総裁が出てくるんだと誰もが思っただろう。内田副総裁は東大から入った日銀プロパーで金融政策一筋の人物。日銀総裁候補とも言われた。

植田和男・日銀総裁は学者出身で語学が堪能。世界の中央銀行総裁の会議に出ても押し出しがいい。ただ弱点とされたのが、「学者なので組織というものがわからない」だった。学者は自分の頭の中で完結する仕事でもあるので、この分析は納得できる。もう1点。日銀の大きな仕事には金融政策のほかに市中銀行の監督という柱がある。「日銀監査」に代表される監視活動である。「こわもての仕事」なので植田総裁にはとてもできないと言われてきた。そこで内田副総裁の出番となるわけだ。


新ニーサ、中国からの資産流入。注目される日本の金利

いま「新ニーサ」で非課税枠が広がったため株式投資や投資信託に人気が出始めた。こうなると金利の動向は注目の的。需要があるところに供給はあるわけでマスコミはこぞって金融情報を流したがっているようだ。バブル崩壊後の最高値をつける株式市場はマスコミにとって新しい金脈となった。中国から日本への資産の移動も株式市場には追風だろう。

 

どうやら穏やかなハト派的な「マイナス金利(あるいはゼロ金利)の解除」となりそうだ。株式市場もこれを好感している様子が見える。さて3月か、4月か、どちらかで解除だろう

 

Too Little Too Lete  とは、なんとしても言われたくないだろうから。