こんにちは macoです
本日は
相手の反応と自分の価値を繋げてないか
についてです
こんなことがありました。
ある事案について何週間も向き合い、何時間も話し合いを重ねて
お互いの意見のすり合わせをしてきた人が
他の人に「説明は聞いたけどあまりわかってないんだよね」って言ってたという…
少し前のわたしなら
「えっ!!!!なんで!?あんなにしたのに!?
」(怒)
「わたしの説明の仕方が悪かったのかな!?」(反省)
「どこがわからなかったんだろう!?」
「苦情になったらういやだなぁ・・・」
と思っていたはずなんですが、、、
今回のわたしは
「そうなんだ。わからなかったんだ。(以上)」だったんです
感情で言うと、怒りも悲しみも否定感も入らずに
以上
それだけでした
わたしは看護師なので、
患者様・家族への説明責任はもちろんありますし、
退院時に患者アンケートができているくらい、
今の病院経営において「看護師の接遇」が求められつつあります。
そんな中で10年以上働いていたので
「説明不足の苦情」=「自分の問題」(自分の不足)
としていました
(↑接客・サービス業の方にも通ずると思います)
ここで言いたいのは
”自分の行動を振り返らなくていい”
”開き直ろう!”ということではなく
それ、”相手の問題だよ”ってことなんです
人は自分の都合のいいように物事を捉えます。
人はそれぞれの色眼鏡をかけて物事をみています。
人それぞれの”看護師はこうあるべき”があります。
(接客・サービス業はこうあるべき)
自分がどんなに丁寧に説明・対応したとしても
自分の本当に伝えたい内容が100%伝わることってないのです。
(コンプライアンスが悪い患者様にベテラン看護師が
指導・説明しようが伝わらないのと同じ…)
伝わってなかった、理解できてなかった、苦情がきた
だ・か・ら
自分が伝えきれてなかった、不足していた、自分が悪い
ではないのですよ
それって、相手の反応で自分の行いが評価されている状態
自分の評価=自分の価値 であるとするならば、
”相手の反応で自分の価値が変動する”ということ
それが
他人軸 の在り方です
わたしたちの価値って、そんなのに変動されない
『唯一無二の価値』 です
これは全てのことに共通することだと思っています
他人の反応でいちいち価値を変動性にするのはもうやめよう。
自分のことを大切にするってそういうことをしない!って約束することなんだよ。
わたしはココから始めました
自分と向き合うことって、
こうやって、自分の反応に違いがでてくるって楽しい
maco