がん難民を食い物にする自由診療クリニック」JB pressから引用

あなたがもし「がん」になったらどんな治療を受けたいですか?

現在、全国の病院で一般的に提供されているがんの治療法は、「標準治療」と呼ばれるものです。

これまで行われてきた数多くの臨床試験の結果導かれた、現時点での最も有効性の高い治療法のことを指します。標準治療は手術、放射線、抗がん剤の3つを組み合わせたものがほとんどです。

一方、そうした従来の医薬品とは全く異なる「再生・細胞医療」が新たな治療法として大きな期待がかけられ、今後の成長分野として大きく注目されています。2012年にノーベル賞を受賞した「iPS細胞」を利用した治療もこの1つです。

残念ながらこうした再生・細胞医療の多くはまだ研究段階ですので、一般的な治療に導入されるような安全性や有効性は確認できていません。

 

■ 推奨されない治療に1000万円請求も

しかし、そうした研究段階の医療が実は、保険適用外の自由診療の名のもとに日本では数多く行われているのです。

主な対象疾患は「がん」で、行われているのは「免疫細胞療法」という治療法です。2015年時点の再生・細胞医療市場は約140億円。その約8割は免疫細胞療法が占めています*1
。 免疫細胞療法とは患者さんから採取した免疫細胞(リンパ球)を体外で培養・活性化させ、体内に移植しがん細胞を攻撃する、というものです。

古くから行われている治療法ですが、昨年12月に発表された日本臨床腫瘍学会のガイドラインでは、適切な臨床試験が行われていないため、治療法として推奨されないとされています*2
。 にもかかわらず免疫細胞療法を提供するクリニックは全国で300か所以上あり、受診する患者さんが後を絶ちません。治療の1回あたりの費用は50万~60万円、複数回受けることが勧められており、総額では300万~500万円かかります。1000万円を越える事例もあるようです*3
。当然、保険適用外ですので費用はすべて自己負担。患者さんは身体的、精神的にも辛い状態に加えて、経済的にも大きなダメージを負ってしまうのです。

それに対して、「欧米では、三大療法以外の代替療法の比重が増えている。だから三大療法はよくないのだ」という主張を見かける。 これは、事実なのだろうか?

 欧米で代替療法が増えているのは事実である。しかし、その理由というのはこうである。

 欧米では、治療法が、効果があるかないかきちんと判定し、効果がなければ何回まで、と厳密に実践する。そして、治療法がなければ、できることはありません、とばっさり言い渡す。すると、何か治療をしたい患者さんが代替療法に流れるのである。

 だから、新薬の臨床治験では、治療法がないけど何か治療を受けたい患者さんが日本よりはるかにたくさん集まるのである。

 それに対して日本では、効果があるかないかはっきりしなくてもダラダラ抗がん剤をやる医師が多い。もちろん小さくなっていれば効果ありと分かるが、変化なしでも、大きくなっていないのだから効果ありと解釈可能だからである。つまり、医師の解釈次第で,効果あるなしの判定を変えられる。A医師は効果なしと判定したが、B医師は効果ありと判定するということだ。

 効果がある場合治療し、効果がなければさっさとやめる、そして、できることがなければ、「できることはないからこないでください」と言うのは当然のことだと思うのだが、そのようながんセンター的な当たり前の対応は,日本では「見放された」と不評のようである。

治療の1回あたりの費用は50万~60万円、複数回受けることが勧められており、総額では300万~500万円かかります。

標準治療でもそのくらいかかる。自分が払うか保険が払うかの違いである。

そういうわけで、標準治療でも、効果がない治療をダラダラやられることはよくあるし、500万円は自己負担では悪くて公的負担ならよい、と考えるのは変な話である。

 人のお金だと思うと、限りなく貪欲になる。私は、むしろ、自分のお金から大金を出したほうが、貪欲に歯止めがかかる場合があると思う。

 死んだらお金が必要なくなるというのに、大金を使っ て、少しでも長く生きたい、と、死ぬまで貪欲が直らない。そういう生き方をして、満足感、幸福感を得られるとは思えない。「何ヶ月延命できればよい」などと目標があるなら、その思いを満たせるかもしれないが、「少しでも長く生きたい」と希望する場合、「いつまで生きたら満足できる」という限度がないと思われるからである。

 自然に叶ったことをして寿命が延びるのがあるべき姿である。自然に反したこと(正常な細胞をも攻撃すること。延命のために大金を使うという貪欲さ)をして延命しても、幸福になれないであろう。

 公的負担であろうが、自己負担であろうが、死ぬまで貪欲を燃やすことが問題なのである。