ダライラマ「怒りを癒す」より引用。
仮に既にあなたが悪しきカルマを蓄積していようとも、幾多のカルマによってそれを変化させ克服するチャンスがあなたにはある。全てはあなた自身の行為にかかっている。これは重要なことである。
苦しみ(おそらく悪いカルマの結果)を経験したとき
この苦を体験したことにより、過去に私が犯した悪しき行いが浄化されますように」という祈願文を唱え、廻向するのだ。
チベット仏教でよく説かれる、悪いカルマの結果が結実したら、悪いカルマが終わった。これからは善いカルマを積もう、で終わらせる考え方は有害である。
いくら言い訳しても、悪いカルマの結果は罰だということになって思考停止するからだ。
人類は、苦しみに直面し、克服しようとして、努力、進化してきたのだ。幸せばかりだったら堕落したであろう。苦しみそのものに意義があることは明らかである。
また、悪いカルマを積まないためには、消極的な生き方をするという対策もある。
接する人間が少なければ、それだけ悪いカルマを積む機会が減るからだ。
また、これから善いカルマを積むチャンスがない状況も存在する。例えば、寝たきりになって動けない人はどうするか。ただ、耐え忍んでカルマが浄化されるのを待つだけなのか。
交通事故にあったら、それは被害者が悪いカルマを持っていたのが結実したというのだろうか。
私達はどうしても過ちを犯す。カルマの結果で苦しみ、過ちに気づく。そして自らの過ちを償いたいと努力することで、向上進化が得られるのである。
【Q6】若いときに犯した罪の償いを、死んで霊界へ行ってからさせられるということがあるのでしょうか?地上にいる間に償いをさせられることもあるのでしょうか?
すべては環境条件によって決まることです。自分が犯した罪は自分で償う―これは不変の摂理です。魂に刻み込まれた汚点を完全に消し去るまでは、向上進化は得られません。その過ちがいつなされたか(若いときか、中年か、年老いてからか)は関係ありません。能力のすべてを駆使して償わねばなりません。
その努力を始めたとき、あるいはそう決意したとき、あなたの魂のなかで過ちを正すための別の側面が動き始めます。摂理の仕組みは、そのように簡単なのです。
若いときに犯した間違いは、肉体を通して顕現している間のほうが償いやすいでしょう。地上で犯したのですから、地上のほうが償いやすいはずです。償いが遅れるほど修正もむずかしくなり、霊的進化を妨げます。
大切なのは、自分の過ちを素直に悔いて償いを決意したとき、ふだんから見守っている霊団の者(類魂)が、間髪を入れずに、力添えに馳せ参じるということです。向上進化を志向する努力を、人間界の経験に当たっている高級霊は、決して無駄に終わらせません。
Q「この世になぜ多くの苦しみがあるのでしょうか」
A「神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練を経てはじめて人間世界を支配している摂理が理解できるのです」
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