時は940年(天慶3年)、下野国の武将、藤原秀郷は平貞盛らとともに、当時京都の朝廷に対し、自ら「新皇」と名乗っていた平将門を討ちました。
同年の4月25日、将門公の首は京都の朝廷に献上されたとされています。
これが『平将門伝説』のはじまりと言ってもよいでしょう。
朝廷に献上された将門公のさらし首は、何カ月も腐敗せず、またまるで生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び、世の人々に恐怖を与えていたようです。
ここで代表的なものをいくつかご紹介。
①調伏伝説
千葉県成田山にある成田山新勝寺には、将門公やその家来の子孫、また将門公の生い立ちに関係のある千葉県佐倉市将門に古くから住むお家は、参詣しないと言われています。
これは、成田山新勝寺のある場所が、昔 対将門討伐の武士の士気を鼓舞するための祈祷が行われた場所だとされているからです。
②関東大震災と首塚
東京千代田区大手町に将門公の首塚はあります。これは将門公の首が京都から関東をめざして空高く飛び、途中で力尽きて地上に落ちたところと言い伝えられています。
関東大震災により、首塚は倒壊し辺り一面を整理し大蔵省の庁舎を建設することになりました。が、大蔵省関係者・工事関係者に「なぞの死」が続出し、「将門公の祟り」だと言われています。
②将門公と北斗七星
将門公は北斗七星を信仰し、北斗七星の呪術をつかって朝廷と対峙したと言われています。
で、現在、将門公を祀った神社、首塚を線で結ぶと、以下のようになります。

1)鳥越神社・・・将門の首がこの地を飛び越えたという伝説
2)兜神社・・・・俵藤太が将門の兜を埋めたという伝説
3)首塚・・・・・将門の首塚
4)神田明神・・・将門の首が祀られている
5)筑土八幡神社・この神社の隣の津久戸明神が将門の首を祀る
6)水稲荷神社・・将門調伏のための神社
7)鎧神社・・・・将門の鎧(胴衣)を祀っている
8)鬼王神社・・・幼い将門を祀る
一説ではこのようにしたのは徳川家康らしい。彼は「強力な祟り神を祀れば、強力な守り神になる」と考えていたと言われています。
都市伝説等で有名な話にはなっていますが・・・