↑突然凸されて、そこそこ思っていた事を母にぶつけた。



この時
母は「色々やってあげたのだから感謝されても憎まれる筋合いは無い!そんな事はしていない!!そんな事あったっけ???」


私は「あれもこれも親のやる事じゃねえよ!」
まだまだ言いたい事はあるぞ!!


後日しばらく怒りがふつふつ沸いていた。
言い足りない感があり。



あれからたったの5ヶ月で
気がついたら母を恨む気持ちが薄れている事に驚いた。



これまで、気がつけば母への恨みつらみ、
そーいえばこんな事もされた、あんな事も言われたって毎日のように呪いがかった日々だった。

食器を洗いながら「あんな事された」←何度も思い出す
洗濯干しながら「こんな事言われたもんな」←何度も思い出す

日常に、「母にやられた事や言われた事を思い出す」
があった。
日常に毒母が居た。



今は、思い出す事がほぼ無いって事に気がついた。




何年も何年も毎日毎日自分の中にふつふつと沸いているマグマのような怒りや悲しみの一部を母本人にぶつけられたからなのか?

連日起きていた母への恨みの代わりに?父の事を時々思い出すようになった気もする。




「親」というのは、それだけ子供に根深く影響するって事なんだろう。


「愛されたかった!」というと少し違和感を感じるけど


「愛情いっぱい育ててほしかった」んだろうな、と思う。


「愛情いっぱい育ててもらったんだろうな」という感じの子、人を見ると
笑顔が素敵だな、愛情いっぱいもらって育ったんだろうなと思う。
単純に羨ましい。
そして、自分は自分の子供に出来ただろうか?も付属する。





自分の内側から 辛さ悲しさ苦しさが沸いてた暗い私と


自分の内側から人を信じる力が湧いていて笑顔溢れる眩しい人


この先も苦労しか見えず死んじゃいたい人
この先あれもこれもやりたい、してみたい人





毒親がそばにいると希望は無くなり気力が失われるって事だろうな。

私は子供〜若い頃、「なんか暗い」とか言われた事があり、小学校の担任にも「陰気だな」って言われたのまだ覚えてるし。帰宅してから母に「インキってなに?」って聞いて意味を知りショックだった。
陰気な小学生。



毒母がそばに居なくても、自分の根幹になってたりするし根深すぎるオエー



毒親に反論したり怒りをぶつける事は出来ても、生い立ちや育ちの過程でのこれまでの不条理を言うってのが難しいのかも。


親だけでなく、一般常識としても、の、産んで育ててもらったことに感謝しろ!!!!!という洗脳が大きすぎて。

どこに相談しても「でも親でしょう?(産んで育ててもらったろ)」って
子供は諦めさせられる。


私は母にベッタリで、そばに居たので違う事は違うと言ってきた。
ので、母にとって癇に障る娘だった。
でも子供なので結局は色々服従させられた。





私は、親が怖かった。

母のことは好きだったけど怖かった。


この恐怖は服従させられてる、きた、から。


親は子供にとっての教祖だ。

生き死にに関する神。



歯向かってはいけない。
従うべきだ。と。











毒母に、お前こそが駄目だと吐き出したら怖くなくなった。
「産んだら育てるの当たり前だろ、私は1人で2人成人させた」と言えたし。




とにかく、また図々しく凸してきた母に

いや、お前は親として間違っている!!!と言う事を
全てではないにせよ本人に伝えた、と言う行為が私にとって良かったのかもしれない。

産んでやった!育ててやった!感謝しろ!恩返ししろ!!
ではなく、
「子供を産んだら、育てるのは当たり前だろ、親なんだから」と。





「産むだけなら誰でも出来るけど育ててやったろ!」とか言ってたし。
まあ、昔は貧困で預ける場所もなくて母子家庭は大変だったとは思う。
だから、苦労した分の恩返ししろとはなぁ。



捨てる事もできる環境なのだから、捨てれば良かったじゃん。
(子供が稼ぐようになったら会いに来そう)





子供捨てる人も居るじゃん!!って言ってたけど、

なら、捨てられないから、嫌嫌育てたの?って話ですよ、お母さん。



子供が居るから離婚できなかったー
お前ら居なきゃ離婚してたー
って(笑)

子供を捨てる事が可哀想だから、離婚出来なかったと言ってた。


子供が居なきゃー
捨てたら可哀想だからー



ちょ、待てよ(笑)
兄のことならまだしも、兄から8つも下の私まで産んで(笑)


子供2人を捨てられなかったー
置いていけなかったー


幼少期、思春期、若い時は「そうなんだ、お母さん苦労したね!!」って全力で聞いてきたけど。





私には子供と離れるって選択肢は無くて、子供抱えてどう生きていこう?
だったので
もう全然わかんない。


後に「私は苦労したけど旦那と添い遂げた!!」

だから、お前も旦那に我慢しろ

になるしな。







以前は
子供という立場の私から母を絶縁して、怖かった。

電話の着信ベルも怖かった。

突然の凸訪問も結局は母ペースの話になり電話番号を教えてしまった。

そして後にまた着信拒否。





過去、母の凸に居留守するのも怖かった。
母からの着信中も本当に怖かった。



「怖い」って感情がもう既に異常なんだけど、自分じゃどーにも出来なくて怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いで。



私は33歳くらいで絶縁し、何度か毒母の凸にあった。
今は51なので絶縁から18年か。

ということは、精神的に大丈夫になるまで18年もかかるの???ではなく
腹に溜まった恨み事を本人に言えたら、恐怖心が減るって事なのかな?と。
子供の私もババアで、ババア同士対等だしな。

毒母の切り札の「死ぬかもしれない病気」も悲しいかな対等だし真顔






一般論「今更そんなこと言っても」とか
一般論「でも親なんだからさ」とか
兄「俺だって嫁だってやられた」とか


育ててもらった感謝あるからこそ、子供にとっては口封じになり苦しむことになり。





子供産んで育てたら、
子供を自分のロボットにして良い、当たり前
老後の面倒みてもらうのも当たり前
子供の金は自分の金



私は、それ違うと思うんだけど、でもそれって何世代にもわたり繰り返せる事よね。
子供は親のロボット。




上司にされた意地悪を、自分が上司になったら部下にやる。
先輩からのイジメを自分も先輩になったらやる。


「怖いから従う」

恐怖で従わせられる好都合。


先輩も上司も親も、若い時はとても怖かった。
怖いから従ったりもした。 


職場に後から入ってきた全く世話になってない年上に、頭ごなしに文句言われたりもした。


理不尽よのぅ。。



ついでにDV旦那も怖かった。

母とDV旦那は「絶縁してから、」のが怖かった。
本当に心底震えて怖かった。
歯向かってしまい、報復される!!って感情。



今は、「何が怖かったんだろう?」と思う。
あんなにも怖かったのに。


DV旦那には報復される!!殺されるかも!!と当時思ったし毎日毎日、何年も不安だった。



でも、今振り返ると、
そんな事はしない、出来ない、ノミ肝男だと思う。

私が従っていたから、偉そうになってしまった産物。


母への感情もこれに近い。 



「恐怖」を植え付けられているから怖くて従ってしまい。違う事は違う!と言っても

「親でしょ」「離婚してどうすんの」「世間体が」「普通は」と逃げ道も塞がれ。


「怒れば従う」ので恐怖で従わせる。



自分がロボットの無味な人生だったから、お前(子供)もロボットな。

って違和感ねーのかな?
服従ロボット持って逆に嬉しいのかな。



今は「パワハラ」と言う言葉もあり、それ1つでも親に説明出来そう。

「お前が長年子供に対してやってきた事は、親ってだけで何でもかんでも子供に服従させる酷悪非道な人権無視です社会で言えばパワハラなんです」と。




毒親育ちは「うるせえ!!テメーなんかから産まれたくなかった!!」
って、早々に家出出来る種類にもなれないんよな。


何かしら親元離れられないよう洗脳されてて。



可哀想なお母さんは、可哀想でも、お母さん本人が過去を振り返り自己対峙しないと解決しなくて。
子供に依存したところで親は全く満たされない。
よって、子供は一生疲弊する。

可哀想な親と居たら共倒れなんだよね。


子供がだらしないのよと親が子供の面倒見続けても共倒れだし。


毒母に文句の1つを言えたおかげで、日常から毒母への恐怖が消えつつあり、

なにも問題のない日々、普通の日、
日常の有り難さを感じられる今は幸せなんだろうな。
という話でした。