父子同時受験(汗) | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

1979年。僕は中学3年になり、高校受験に備える年になった。

相変わらず中1からの躓きで成績は見事なほどに低空飛行だった。

周囲は学習塾へ行く子が多くなってきたが、僕は自分の成績が恥ずかしくて

塾へ行く気にはならなかった。成績が悪いから塾へいくのは当たり前なのだが

どこがどうわからないのかさえも解らなかったので、塾に行っても意味がないと

自分では思っていた。

 

だからと言って何もしないわけにはいかないので、僕の選んだ道は

通信教育の「進研ゼミ中学講座」を受けることにした。これなら誰にも知られず

ひっそりと努力できる。実際コツコツやり始めてからは少しづつだが成績は上がった。

 

僕らの時代の中学校は「荒れる中学生」の時代の先駆けで悪い奴はとことん悪い。

という感じで、教師が手に負えない。という生徒も多かった。

前にも書いたが部活動の部室で煙草を吸う生徒やシンナーに手を出す子もいた。

教師たちは意味のない校則を沢山作り、生徒たちを縛ろうとした。

例えば…髪の毛が耳に付いてはいけない。学帽を必ず被って登校しなければならない

スカートの長さはひざ下何センチだ。と定規を手に図って廻るetc,etc…

覚醒剤をやっている生徒がいるらしい。とまで噂がひろがっていた。

 

僕のように「勉強もスポーツも出来ない」生徒にとってこの校則というものが

窮屈で仕方がない。なにしろ担任教師が家庭訪問で「月刊明星」や「月刊平凡」を

読ませると不良になるので、家庭では読ませないでくれ。などど相当にマヌケなことを

言って帰るような時代だった。そんな下らない話を無視して僕らは読んでいたが。

 

草野球さえ制限された。僕は野球部は辞めたが仲間を集めてチームを作り

近所の空き地で高校生のチームや大人の工員さんたちが即席で作ったような

チームと草野球を楽しんでいた。チームと言ってもその日集まった人たちで

チームを組んでいた。ところがクラスで一番成績の良い女生徒が

「彼らは放課後に勉強もしないで野球で遊んでいる」と担任に言いつけて

放課後の唯一の楽しみであった草野球も禁止になった。特に首謀者だとされた僕は

(と、は言っても首謀者は考えれば直ぐに僕だと解るのだが)キツく申し渡された。

 

草野球を止められても、その時間を勉強に使う訳ではない。

最低限の勉強はやるが、当時の僕の趣味と言えばマンガだった。

特に野球が好きだったので水島新司先生の「野球狂の詩」や「あぶさん」を

読み耽っていた。「ドカベン」は高校野球が舞台だったので、当時憧れていた

プロ野球をしかもパ・リーグを取り上げた「あぶさん」に興味を持った。

 

 

大阪の南海ホークスを舞台にした、影浦安武(あぶさん)という架空の選手と

登場する実在するホークスの選手たち…藤原満や佐藤道郎、打撃コーチの高畠導宏

そして監督兼4番打者兼捕手の野村克也。

のちに野村はロッテオリオンズへ移籍するのだが。

「大虎」の看板娘サチ子とあぶさんの恋もヤキモキしながら読んでいた。

あまりにもリアルで、春のホークスキャンプに影浦選手を訪ねて、架空のキャラだと知って

驚いた女性がいた。という話もこの頃だったように思う。

 

 

 

読むだけでは飽き足らず、僕は水島先生の絵を模写して貴重な勉強時間を浪費していた。

行きたい。と思う高校もなく、入れればどこでも良いや。くらいにしか

考えてなかったのだから、シャカリキに勉強する気はほとんどなかったのだ。

 

ところが、そんなに呑気な事を言っている訳にはいかなくなった。

同じ頃、親父も個人タクシーの資格を取る勉強を始めたのだ。

合格発表は僕の高校受験と同じく、1980年の3月だと言う。

こいつはマズいことになった。と僕は焦った。親父の性格からして

自分が合格し、僕が失敗したら何を言い出すかわからない。

親父は勤めていたタクシー会社を半年前から休み、受験勉強を始めた。

 

現在は知らないが、当時は個人タクシーの権利を譲渡してもらうのならともかく

ゼロから受験して個人タクシーの資格を取るのは非常に難しいとされていた。

地理や法規から、幅広い知識が試されるために失敗する人も多く、県会議員などの

後ろ盾を得て、ようやく合格した。という人もいた。親父も口を利いてやろうか。という

輩も居たらしいが、それも断り全くゼロからの受験に挑むことにしたらしい。

こういうところは親父の根性を見習わなければいけないのだろうが、当時の僕には

面倒な事になった。という思いだけが強かった。

一家に2人の受験生が存在する。母は店の経営だけで手が回らない。僕と親父は

夜な夜なインスタントラーメンの夜食を啜り、受験勉強に明け暮れる事になった。

とにかく最悪のパターン(親父だけが合格する)事だけは避けなければならない。

呑気に構えていた僕は、この「親父の受験」というイベントに巻き込まれて

必死に勉強に勤しむ事になる。